三島憲一
2011年04月21日
形式は整っている
もちろん、原発建設のさまざまな基準、審査は日本でもとても厳しい。環境アセスメントも、推進者の目から見れば「ながながと」「必要以上に徹底的に」なされている。地元との対話も今では丁寧に、時間をかけて行われている。安全にもさまざまな配慮が技術的にも、政治的にもなされている。全体のプロセスはヨーロッパ諸国よりも厳しく丁寧な場合すらあるかもしれない。
しかし、こうした複雑な審査基準やプロセスも、建設工事を遅らせることはあっても、走り出したら止まらない、の原則通りで、退却させたことはない。ごく初期の段階で地元の了解が得られず、電力会社が建設を諦めることが、ようやく最近になって何件かあったようだが、それまでは、こうした複雑な手続きは、すべて「儀式」であった。
特に住民との対話がそうであるし、それ以外の調査や審査も、結論は大体が事前に決まっていた。反対の自治体は、さまざまな補助金の約束でおとなしくさせられる。関係者の暗黙の了解の前に、筋論を唱えたり、「あり得ない」大きさの地震や天変地異を論じる者は、「変わり者」でしかない――「ああいう奴が出てくると迷惑なんだよな」。人に迷惑をかけることは、この社会では最もいけないことのひとつだ。
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