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[1]鉄道と日本近代を考える

聞き手=WEBRONZA編集部

原武史

2010年12月に九州新幹線が全通し、今年2月に東北新幹線が新青森まで延伸した。青森から鹿児島まで日本列島が1本の新幹線でつながったことになる。また、3月5日から「はやぶさ」が東京と新青森を結ぶようになった。3月11日の震災で不通となった東北新幹線も4月29日、全線復旧した。整備新幹線の工事に区切りがついただけでなく、日本の鉄道、あるいは鉄道文化にとっても新しい局面が訪れている。日本の鉄道と近現代史、政治史の関係を原武史さんに聞いた。(聞き手=編集部)     

 

原武史(はら・たけし) 1962年、東京都生まれ。明治学院大学教授。専攻は日本政治思想史。著書に『大正天皇』(朝日選書、毎日出版文化賞)、『「民都」大阪対「帝都」東京――思想としての関西私鉄』(講談社選書メチエ、サントリー学芸賞)、『滝山コミューン 一九七四』(講談社文庫、講談社ノンフィクション賞)、『昭和天皇』(岩波新書、司馬遼太郎賞)、『鉄道ひとつばなし』『同2』(講談社現代新書)、『「鉄学」概論――車窓から眺める日本近現代史』(新潮文庫)など。最新刊に『鉄道ひとつばなし3』(講談社現代新書)。 

 

――原先生のご専門は日本政治思想史、とくに天皇制の研究ですが、一方で、鉄道にも造詣が深く、珠玉のコラム「鉄道ひとつばなし」の長期連載(講談社のPR誌「本」掲載)を続けておられます。「鉄道マニアではない」と用心深く説明されていますが、著書を拝読すると「鉄道好きが研究にも生きた」と振り返ってもいます。また、「鉄学者」とも自称されていますね。まずは、初めての読者向けに、原先生のご専門と鉄道の関係をかいつまんでお話いただければと思います。

拡大「鉄学者」原武史さん
 「鉄学者」というのは半分冗談ですよ(笑)。当然のことですが、江戸時代には街道はあっても鉄道はありませんでした。小さな国に相当する藩が二百八十近くもあって、それが緩やかに連合して日本という国家を形づくっていたわけです。ところが、日本人が互いに同じ日本人と認識し合うことができるネーションステート(国民国家)が必要になりました。日本の近代、あるいは近現代は、明治国家の建設とともに東京を中心に鉄道網が発達していった過程でもあります。

 近代の天皇制も軍隊も、国家の大動脈となるべくつくられた鉄道と切っても切れない関係にあります。北海道から九州まで全国が1本の鉄道で結ばれている、そしてその鉄道が首都である東京につながっていることが、抽象的な国家という概念を体現する媒介になっていました。この線路は「帝都」東京につながっている、あるいは天皇が東京から鉄道に乗ってやってきた、という形で、全国津々浦々の庶民が日本という国家を非常にリアルなものとして認識するきっかけの一つが鉄道でした。しかも、鉄道はダイヤグラム(運行計画)を用いますから、太陽暦に基づく分単位の時間概念を広める上でも有効でした。中でも、天皇の乗る御召列車は非常に精緻な運行計画に基づいて走るようになりました。

――完璧な時刻表に基づいて正確な時間で走る列車が到着する駅、あるいは通過する沿線のあちこちに、正確なタイミングで集まって万歳しながら天皇を迎える現地の人々がいたわけですね。

 そうです。明治時代から、新聞には「何駅着は何時何分、発は何分」と掲載されていました。こうして抽象的な概念ではない、リアルな国家の姿が地方の人々にも届きました。

――国家の「見える化」とでも言えばいいでしょうか。

 可視化ですね。『可視化された帝国』(みすず書房)という著書も出しましたが、鉄道がそうしたツールの一つとなりました。また、私が『「民都」大阪対「帝都」東京』で書いたのは、そうした東京中心の官営の鉄道網に対抗して別の中心をつくろうとした関西の民鉄(民営鉄道)です。大阪中心の民鉄は東京とつながらない形で、別個に難波、日本橋、梅田、上本町といった大きなターミナル駅をつくって郊外へと延びていきました。意図的に国鉄とは交わらない。物理的に駅から駅への乗り換えもスムーズにできないし、乗換案内の車内アナウンスもない。転勤族や旅行客が、梅田と大阪が実は乗り換え可能だということを知らずにまごついた、という笑い話があったほどです。沿線の宅地開発まで手がけるのも民鉄の特色の一つでした。阪急電鉄の創業者、小林一三が典型的ですね。

東京の私鉄と関西の私鉄は大違い

――関東や関西以外の地域では、国家を一つにぎゅっとまとめ上げるツールの一つだった鉄道が、豊かなローカル色を帯びることはなかったのでしょうか。

 そもそも官設官営でスタートした明治時代の鉄道は、西南戦争による財政の逼迫で私設鉄道にも門戸を開くようになりました。財界人たちも私設鉄道の建設を推進しましたが、日露戦争後、軍事的重要性が認識され、物流の効率化が求められたことで、日本鉄道、山陽鉄道、九州鉄道など主要幹線の国有化が進みました。戦後、鉄道省を引き継いで生まれたのが、日本国有鉄道、つまり国鉄でした。

 関東私鉄のターミナル駅を見比べると分かりますが、どれもJRの駅に間借りしているような構造です。池袋も新宿も渋谷も品川も横浜も、私鉄のホームはJRのホームの脇に寄り添うような位置関係になっていて、乗り換えには便利です。東武、西武、小田急、東急、相鉄など主な私鉄の線路の幅もJRの在来線と同じです。違うのは井の頭線を除く京王と京急と京成ぐらいで少数派です。つまり、民より官が優位だという序列がはっきりしていて、民はあくまで官に従属する存在でした。

 ところが関西はJR大阪駅のすぐ隣にある阪急や阪神の駅は「梅田」ですし、阪急の京都におけるターミナルは「河原町」。京阪なら「三条」ないし「出町柳」と、駅名どころか場所さえ一致しない。こうして国鉄を意識的に無視してきたわけです。関東なら「京成上野」「西武新宿」などと社名をつけた駅名にすることはあっても、まったく別個の駅名をつけることはない。浅草(東武伊勢崎線)は、場所も駅名もJRと違いますが、既にターミナル駅としての性格が希薄になっています。

――浅草が栄えたのは主に戦前ですね。原先生もかねて指摘していますが、地下鉄や私鉄同士、あるいはJRと私鉄の相互乗り入れが進んだことで、街の顔としてのターミナル駅がその機能を失いつつあります。

 ターミナル駅をなくして相互乗り入れが増えれば、乗客にとっては乗換回数が減って便利だという考え方があります。特に東京メトロ半蔵門線と田園都市線、日比谷線と東横線、南北線・都営地下鉄三田線と目黒線が乗り入れ、さらに東横線の渋谷ターミナルをなくして副都心線への乗り入れを図る東急が大きな影響を受けています。しかし、相互乗り入れが必ずしも便利とは限らない。直通運転する路線の距離が延びたことで、はるか遠くで遅れが発生しただけで、それが路線すべてに反映します。例えば春日部で起きた遅延が中央林間に波及します。一方で、ターミナル駅が始発なら、次の列車を少し待つだけで必ず座って帰れます。ところが相互乗り入れだと座れない。現に東急田園都市線が半蔵門線と直通運転しているせいで、夕方ラッシュ時には大手町よりも遠く、例えば水天宮前あたりまで戻らないと確実には座れない。2012年に副都心線と東急東横線の直通運転が始まれば、渋谷では座れないので、どうしても座りたければ新宿三丁目以北まで戻る必要が出てくるでしょう。

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筆者

原武史

原武史(はら・たけし) 

1962年、東京都生まれ。明治学院大学教授。専攻は日本政治思想史。著書に『大正天皇』(朝日選書、毎日出版文化賞)、『「民都」大阪対「帝都」東京――思想としての関西私鉄』(講談社選書メチエ、サントリー学芸賞)、『滝山コミューン 一九七四』(講談社文庫、講談社ノンフィクション賞)、『昭和天皇』(岩波新書、司馬遼太郎賞)、『鉄道ひとつばなし』『同2』(講談社現代新書)、『「鉄学」概論――車窓から眺める日本近現代史』(新潮文庫)など。最新刊に『鉄道ひとつばなし3』(講談社現代新書)がある。