三島憲一
2011年05月09日
これまで述べたような日本の構造は、外国にもとっくに知られている。私が多少ともフォローしているドイツのメディアにも批判は渦巻いている。グローバル化のなか、すべては見られている、と思わねばならない。日本語の壁、習慣の壁のおかげで、「ばれていない」と思えたのは、もう一世代以上前の話だ。
同じように、福島原発のとてつもない事故の責任は、反対者を巧みに孤立と自己矛盾に追い込むような、これまでの自民党の支配体制にある。いわば合法的犯罪であり、国民に対する構造的テロである。菅内閣の危機管理のこれやあれやのミスをあげつらう暇があったら、歴代の自民党総裁、つまり、総理大臣、そして通産大臣・経済産業大臣は、雁首を並べて、国民の前に土下座して深く、深くあやまるべきである。
そして今後は、生けるデモクラシーにおける相互批判と議論を軸に政治をすることを誓うべきである。福島は、デモクラシーの再生の場とならねばならない。多少乱暴ともいえる自由民主党国会議員、高級官僚と大企業幹部という、少しエレガントな集団が食い散らかしてしまったこの社会に、デモクラシーのための議論が渦巻くことが必要である。
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