メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

親をなくした子どもたちを救う基金をつくって

高成田享

高成田享 仙台大学体育学部教授(スポーツメディア論)

 今回の大震災で、多くの子どもたちが犠牲になった。宮城県石巻市の大川小学校の悲劇はニュースを見たり、読んだりするたびに涙を禁じ得ない。私も5月4日には、北上川の河口あたりを歩き、大川小学校にも行って、犠牲になった子どもや先生に祈りを捧げた。学校のなかで、なくなった子どもたちはほかにもたくさんいるし、学校の外でなくなった子どもたちもまたたくさんいる。

卒業証書を手に記念撮影する宮城県石巻市門脇小学校の卒業生たち
 先日、木工に取り組んでいる石巻の友人に連絡を取ろうと、携帯番号を知っていた弟さんに連絡したら、「兄は子ども3人を津波でなくした」と聞き絶句した。かける言葉もない、というのは、こういう状況だろう。元気を出してとか、前を向いてとか、とても言えるものではないと思った。石巻の小学校や中学校で英語を教えていた米国人の父親とも、縁があってメールのやりとりをしたが、ソーリーという以上に言葉を重ねても虚しい気がした。

 子どもをなくした親の気持ちは、孫もいる歳になってくると、その悲しみが昔よりもずっと強く感じるようになった。そのせいか、福島原発に関連して、放射線量が高い地表近くの数字が公表されていないとか、許容される基準値が引き上げられたとか聞くと、子どもたちをおとなの過ちに巻き込んではいけない、という思いがこみ上げてくる。

・・・ログインして読む
(残り:約2152文字/本文:約2686文字)