櫻田淳
2011年05月03日
筆者は、国家の役割の根本は、「一般国民にとって普段は決して鬱陶しいものであってはならないけれども、必要とされる時には必要とされることができる」という趣旨に沿うものでなければならないと考えてきた。
平時においては、人々の活動に国家が関わる余地は、出来るだけ限定されなければならない。それが憲法上、「自由」と呼ばれている諸々の事柄の趣旨である。しかし、戦争や自然災害に類する有事においては、国家の枠組で「必要とされること」が適切に実行されなければならない。ここでいう「必要とされること」とは、有事において人々が苦難を強いられる時間を出来るだけ局限する対応のことである。
有事には、人々の生命、身体、財産が脅威に晒される局面が続くけれども、そうした局面を終わらせるためには、人々に対して一定の程度までの不都合を強いる対応を採らなければなければならない場合がある。人々の「自由」を長期的に保障するために、その「自由」に時限的に制限を課すこともあるという半ば矛盾した対応こそが、「必要とされる時には必要とされることができる」ということの本質なのである。
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