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【無料】 朝日記事は日本外交へのボディーブロー

佐藤優 作家、元外務省主任分析官

  朝日新聞が5月4日朝刊で、ウィキリークス(WL)から入手した約7千本の日本に関係する米国国務省の公電をもとに、その内容と分析について第一弾を発表した。それによって米海兵隊普天間飛行場の沖縄県外への移設を追求する鳩山由紀夫政権に対して、防衛官僚と外務官僚が米国政府に働きかけ、外圧によって自民党政権時代の辺野古移設案に引き戻そうとする姿が明らかになった。

 朝日新聞は、5月10日付朝刊で第二弾として日露関係に関する公電の内容と分析に関する特集を掲載した。日露関係に関し、日本政府、外務省による頓珍漢な外交戦略を冷ややかに観察する米国の姿勢が伝わってくる。日本政府は、「WLに関しては一切コメントしない」という方針で、嵐が過ぎるのを待とうとしている。

 しかし、嵐は過ぎない。朝日新聞の報道は、ボディーブローとなって日本外交に大きな影響を与えることになると筆者は見ている。例えば、ロシア国営ラジオ「ロシアの声」(旧モスクワ放送)が、5月14日の日本語放送で以下の論評を行った。

<09年の公用文書に書かれた「日本には、北方領土返還交渉のための計画も、計画をより積極的に最後までやり遂げる指導者も欠けている」という指摘は、当時の麻生内閣に信頼できる助言者がほとんどいなかったことをさしている。またこのほかにも、「日本には政府に領土問題の賢い解決方法を提案できるような分析センターが少ない」ことも指摘されていた。日本側には四島を要求する権利があることを実証するのが難しいという原因があったとも言える。>(5月14日「ロシアの声」日本語版HP)

 第二次世界大戦終結60周年の2005年頃からロシアは、中国や米国に対して第二次世界大戦で反ファッショ陣営で戦った盟友であったことを強調している。日本が北方領土に固執するのは、ナチス・ドイツの同盟国で、世界の文明諸国の脅威であったことに対する反省が不十分だからであるという宣伝攻勢をロシアはかけていた。東西冷戦期に米国は積極的に日本の北方領土返還要求を支援していたが、WLが暴露した公電によると、米国は日本の主張に過去の経緯があるので形だけ耳を傾けるが、北方領土返還を本気で後押しする気持ちはないことが伝わってくる。

 具体的には、2009年4月19日付東京の米国大使館から米国国務省宛の極秘公電に、<ロシア大使館の接触相手は、北方領土問題についてモスクワが考える上で第二次世界大戦が巨大な役割を演じていると率直に述べた。特にクレムリン(大統領府)が北方領土を、ロシア人が信じるところでは、ヒトラーを支持するという東京の裏切り行為と戦時中ロシアが対独戦争で失った数百万人の命の一部に対する補償と考えているということだ。>と記されている。

拡大ロシアのメドベージェフ大統領(右)と会談する麻生首相=2009年7月
 米国の外交官がこれに対して「米国政府としてはそのような考えに立っていない。北方領土はロシアによって不法占拠されているという日本政府の立場を支持する」というような反論を行った形跡はない。外交の世界では、自国にとって受け入れることができない立場を相手が表明した場合、「あなたのおっしゃることは聞いた。しかし、わが国の認識と立場は異なる」と言って、一言留保する。

 公電には、「当方より、先方に対し、貴発言の内容はわが国の立場と相容れない旨適宜反論」というような記録を残す。今回、WLが暴露した米国国務省公電を読んだロシアの外務省とSVR(対外諜報庁)の日本専門家たちは、「北方領土問題に関して、日米間にこれほど距離ができているとは思わなかった。ロシアの対米宣伝工作は予想以上の成果をあげた」と祝杯をあげていると思う。

 表面上は温和しくしているが、外務官僚は朝日新聞に対して怒り心頭に発している。筆者は外交官時代、機微に触れる情報を扱うことが多かったので、WLによる公電暴露に対する外務官僚の反応が手に取るようにわかる。外務官僚は、「よくもWLのような既存の国家秩序を破壊する連中と手を組んで、日本外交を妨害しやがったな。いつか朝日新聞に対して復讐してやる」と考えていることと思う。

 腹を立てている外務官僚諸氏に5月4日付朝日新聞朝刊に掲載された西村陽一・ゼネラルエディターの署名記事を熟読することを勧める。西村氏は、<私たちは報道内容についてWLから制約を受けていません。金銭のやりとりも無論ありません。私たちはWLを一つの情報源と見なし、独立した立場で内容を吟味しました。>と述べる。

 朝日新聞がWLをパートナー(協力者)ではなく、「一つの情報源」と見なしているということがポイントである。事件報道で犯罪者と協力することはできない。しかし、犯罪者を情報源として国民の知る権利に応える報道を行うことは可能である。WLが提供する情報が真実ならば、その情報を独自の立場で吟味して、国民の知る権利に奉仕するのが朝日新聞の基本姿勢であると西村氏は述べているのだ。

 筆者は西村氏の姿勢を支持する。外務省がWLから受ける打撃を極小にするためには、WLが外交秘密を暴露したか否かという問題とは別に、普天間問題、北方領土問題などの重要事項について、国益を毀損しないぎりぎりのところまで真実を国民の前に明らかにすることだ。現状の「沈黙戦術」を外務官僚がとり続けると、国民はWLを「一つの情報源」とする朝日新聞の報道の方を外務省よりも信頼するようになる。国民の信頼を失うと外交は機能しなくなる。(2011年5月15日脱稿)

 

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筆者

佐藤優

佐藤優(さとう・まさる) 作家、元外務省主任分析官

1960年生まれ。作家。元外務省主任分析官。同志社大学神学研究科修士課程修了。外務省では対ロシア外交などを担当。著書に『宗教改革の物語――近代、民族、国家の起源』(KADOKAWA)、『創価学会と平和主義』(朝日新書)、『いま生きる「資本論」』(新潮社)、『佐藤優の10分で読む未来』(新帝国主義編、戦争の予兆編、講談社)など多数。

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