三島憲一
2011年05月25日
その後は、ニーダーザクセン州のブロクドルフ、バイエルン州のヴァッカースドルフなどの象徴的な場所で、建設反対のデモと、警察との激しい衝突が繰り返された。
日本と違うのは、ブロクドルフの1981年2月の決定的な「戦闘」には、地域の牧師たちも讃美歌を歌いながらデモに加わったことである。宗教界には、神学上の理由からも原発反対運動が根を張っていた(日本の仏教界はどうだろうか?)。それでも、ブロクドルフは最終的には1986年には発電を開始している。強権が勝った。だが、ヴュールでもヴァッカースドルフでも建設されることはなかった。
法律の前に国家が負けた例もある。1986年にドイツとしては地震の多いプファルツ地方に完成した原発は、2年後に裁判所の命令で運転を停止せざるを得なかった。反対派が確認したところでは、実際の原発は建築確認書より80メートルずらして立てられていたからである。非合法建築となった。
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