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ドイツ、脱原発への道(中)――保守系の人々を含んだ反対運動

三島憲一

三島憲一 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

 反原発運動も、環境保護運動と同じく長い苦難の歴史だった。日本の50年代、60年代もそうだったが、原爆の破壊力の巨大さが逆に原子エネルギーによる豊かさの幻想も生み出すという逆説が支配していた。「ビキニ」は、水着の名前からも分かるとおり、決してネガティヴなイメージではなかった。

2011年3月、ドイツのベルリンでは「誰が福島の責任をとることができるのか」と書いたプラカードを持ってデモ行進がおこなわれた。参加者は25万人にのぼった
 だが1973年にフランス国境に近い上部ライン地方のワイン畑で有名な町ヴュールが原発建設の候補地に挙がった頃から反対運動が激化し始めた。ワイン業者は一斉にトラクター・デモを開始した。

 その後は、ニーダーザクセン州のブロクドルフ、バイエルン州のヴァッカースドルフなどの象徴的な場所で、建設反対のデモと、警察との激しい衝突が繰り返された。

 日本と違うのは、ブロクドルフの1981年2月の決定的な「戦闘」には、地域の牧師たちも讃美歌を歌いながらデモに加わったことである。宗教界には、神学上の理由からも原発反対運動が根を張っていた(日本の仏教界はどうだろうか?)。それでも、ブロクドルフは最終的には1986年には発電を開始している。強権が勝った。だが、ヴュールでもヴァッカースドルフでも建設されることはなかった。

 法律の前に国家が負けた例もある。1986年にドイツとしては地震の多いプファルツ地方に完成した原発は、2年後に裁判所の命令で運転を停止せざるを得なかった。反対派が確認したところでは、実際の原発は建築確認書より80メートルずらして立てられていたからである。非合法建築となった。

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