鈴木崇弘
2011年05月27日
また、日本の場合、何らかの想定をし、問題に対応してしまうと、それ以上あるいはそれ以外の問題は「起こらない」ということが想定されてしまうことが多いようである。それらの問題を考慮すること自体が、その想定が否定され、間違っていることになるという、別のロジックが働くようだ。ある意味の「無謬性」の原則によるものだろうか。
このことの典型事例が、原発事故対応のロボット開発だ。30億円かけて、原発の事故対応のロボットの開発が以前になされていたが、そのようなロボットが活躍する事態は起きえないということ(想定)で、そのロボット開発はそのままになってしまい、今回の震災でも活かされず、結局今回の震災ではロボットを海外から持ってきて、原発に対応するはめになった。
これらのことからもわかるように、「想定」には限界があり、絶えず「想定外」が起こりうるのである。そこでは、「想定外」が起きても対応できるようにする考え方や方策が考えられないといけないということである。
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