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首相が最大の障害物となってはならない

後藤謙次

後藤謙次 後藤謙次(フリーの政治コラムニスト、共同通信客員論説委員)

 6月2日の内閣不信任案採決を軸に展開された政治状況を見ながら過去に起きた2つの政変劇が頭に浮かんだ。2000年の森喜朗内閣時代に表面化した「加藤の乱」と1989年の竹下登首相の退陣劇である。

 「加藤の乱」は自民党の加藤紘一元幹事長が盟友の山崎拓とともに野党民主党と通じて、民主党提出の内閣不信任案に同調して森首相の退陣を目指したものだった。しかし、野中広務・自民党幹事長(いずれも当時)が不信任案同調者に選挙区で対立候補擁立の手続きに入った時点で「反乱軍」は総崩れとなった。ただし、野中氏は「内閣不信任案は否決されたが、森内閣が信任されたわけではない」として幹事長を辞任。森内閣はそれから5カ月後に瓦解した。

 加藤氏らの行動の出発点にはまず「森憎し」の感情があり、最後まで倒閣の大義が形成されることがなかった。今回の「菅降ろし」をめぐる内閣不信任決議案騒動も酷似する。決議案をいくら読んでも「何をもって不信任なのか」の理由が判然としない。「嫌菅感情」が野党側だけでなく与党内に広がったことが最大の理由だったからである。これでは国民の支持が得られるはずがない。土壇場で登場した菅首相と鳩山由紀夫前首相による3項目の確認事項という「救命ブイ」に、だれもが「怪しい」と思いつつあっという間に飛びついたのもその提出に至る「筋の悪さ」が背景にあったのは間違いなかった。

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