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大震災で見せた史上最大の「日本版フロム・ザ・シー」

谷田邦一

谷田邦一 ジャーナリスト、シンクタンク研究員

  巨大地震と大津波が複合した東日本大震災。陸地が冠水し道路が寸断されるなか、捜索救難活動の初動では、海からのアプローチが大きな成果をあげた。その中核となった海上自衛隊は、今回初めて、多数の艦艇とヘリコプターを組み合わせ、洋上からの大がかりな展開作戦を繰り広げた。

 「日本版フロム・ザ・シー(from the sea)」――。米海軍が冷戦終了後まもない1992年、作戦の舞台を外洋から沿岸部に移して策定した新戦略になぞらえて、海自幹部らは自分たちの作戦をこう呼ぶ。漂流する船舶から子供たちを助け出し、孤立地域の被災者を避難所に運び、大量の救援物資をあちこちに送り届けた。活動はどのように行われたのか、主力となった千葉・館山航空基地の隊員たちに聞いた。

 荒涼とした景色が広がっていた。海自最大のヘリ基地・館山で第21航空群の飛行隊長をつとめるパイロットの田上啓介2佐(48)は、震災2日後の3月13日早朝、「軽空母」の異名をとる大型護衛艦「ひゅうが」(基準排水量約1万4千トン)とともに三陸沖に到着した。約100キロの海域で捜索を始めた途端、目に飛び込んできたのは「おびただしい数の漁船や屋根などの浮遊物」。人がいないか、肉眼や赤外線センサーでていねいに確認して回る。ヘリが撮影した画像は護衛艦に電送され、艦内でも確認作業が重ねられた。

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