宮本太郎(政治学)
2011年07月08日
大災害は、社会の脆弱で無防備な部分を直撃する。孤立した人々、経済的基盤の弱い人々の孤独や苦しみを増幅する。無縁の時代を象徴する「孤独死」という言葉が現れたのは、今回の大震災に先立つ阪神淡路大震災の直後であった。仮設住宅において、5年間で200人以上の高齢者が誰にも看取られずに亡くなったのである。
思えばそれから16年の間に無縁の時代が加速した。東日本大震災後の仮設住宅への入居や県外避難に際して、人々の孤立を深めることをいかに回避するかが問われたのは当然と言える。コミュニティや家族の絆は、もはや決して当たり前のものではない。いつ崩れ去るか分からないし、ひょっとすると私たちは、すでに「孤」を出発点として考えなければならない時代に入っているのかもしれない。であるとすれば、こうしたつながりは、むしろ積極的に創りだしていくことを考えなければならない。大震災の災禍のなかから、そのような現実が浮かび上がりつつある。
さて、北海道である。北海道は、歴史的に蓄積されたコミュニティの根が浅く、三世代同居率や子どもとの同居率が全国平均よりはるかに低い。それゆえに、家族やコミュニティを「含み資産」として社会保障を構想する立場からは、厳しく採点されることもしばしばであった。同居率が低いために、高齢者の入院が増えて、医療費が高くつくという分析もあった。
その北海道で、社会保障の新しいかたちが取り組まれている。それは、共生型のケアという試みである。これまでの社会保障には、ケアの対象となる人々を縦割り行政の都合で上から区分し、ニーズが自明の受け身の存在として扱うところがあった。これに対して共生型のケアは、さまざまな人々を縦割り行政を超えて包括的に、相互に支え合う主体として考える。そして、それぞれの多様なニーズに耳を傾けながらケアしていこうとする。
共生型ケアの嚆矢となったのは、実は北海道ではなく、富山市のNPO法人「このゆびとーまれ」によるデイサービス事業であった。高齢者、児童、障がい者を包括的にケアするかたちは注目され、宮城や高知などでも広がった。これに対して北海道の共生型ケアの特徴は何か。
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