三島憲一
2011年08月03日
もちろん、右派ポピュリズムにはフランス、オーストリア、イタリアを見るまでもなく、すでに長い「伝統」があるが、最近では、オランダやフィンランドといった元来は人種差別や拝外思想とは縁が薄いと思われてきた国々でも目立ち始めている。
それぞれに事情もあるが、こうしたプロテスタントの伝統の強い国々は、信仰の自由をいわば国の成り立ちの基礎にしてきただけに、個々の事情では説明しきれないものがある。
最近の動きに共通しているのは、反EUと反イスラムの心情である。
拡大しきって政治的にしまりのなくなったEUは、経済圏としては機能していても、依然として超国家的な(スプラナショナルな)政治的共同体にまとまっていない。EU憲法を模索した90年代以来のさまざまな試みはことごとく挫折した。豊かな加盟国の市民の多くは、分担金を通じて貧しい加盟国に援助をしているだけ割が悪い、と考えている――実際には、このEUのおかげで豊かな国の富と安定が得られているのだが、豊かな国のなかでもそれほど恵まれているわけではない小市民層はそう思ってはくれない。
そして失業率の増大におびえる人々は、EU域外からのアラブ系やイスラーム教徒の流入こそが諸悪の根源という短絡的結論に陥りがちである。しかも、それはEUの政策が原因とされる。ブリュッセルの官僚たちがデモクラシーの手続きも踏まずに勝手にやっていると思われている。
EUの意思決定におけるデモクラシーの欠如はそのとおりだが、実際には域外からの流入は各国経済の最下層の仕事に必要であり、また流入人口による購買力の増大もそれぞれの経済を支えているのだが、そういうところには目がいきにくい。
今回のノルウェーの犯人がブログに公開している信条でも、基調はこの反EUであり(ノルウェーはEUに加盟していないのだから、ほとんど強迫観念だろう)、反イスラムである。そしてドイツや北欧にも多いトルコ系、アラブ系、ペルシャ系などのイスラーム教徒たちとの共存を唱えるリベラル・レフトの勢力を「文化マルクシズム」と形容しているそうだ。
しかもその元凶を60年代後半の学生叛乱、この西欧の知的風土を一気に変えた一連の知的文化的運動のなかで広く読まれたヘルベルト・マルクーゼに求めている。ドイツなどではすぐさまアドルノ、ハーバーマスなどの「フランクフルト学派」が悪いのだ、と匂わせる向きもある。
そのドイツでは、連銀の理事まで務めた社民党員のザラツィンによる「このままでは古きよきドイツがなくなる」といった排外的な調子の著書が2010年にベストセラーになった。こうした保守主義は、極右とは一線を画するとはいえ、根強いものがある。
だが、多文化主義とグローバル化をめぐる議論で、保守主義はジレンマに瀕している。
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