メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

[5]中国の高速鉄道事故を考える――過熱した報道に異議あり!

聞き手=WEBRONZA編集部

原武史

――7月23日に中国の温州(浙江省)で起きた新幹線事故については、中国の国内メディアもさることながら、日本の報道も過熱しています。事故車両を埋める、早々に捜索を打ち切って運行を再開するなど、日本ではあり得ないようなことが起きているのも確かです。一方で、欧州ではノルウェーのテロ、米国では歳出削減や米国債の動きが注目されていて、韓国では「日本の報道が過熱しすぎではないか」との指摘もあるそうです。日本人や日本のメディアは中国の新幹線についてなぜ敏感なのでしょうか。

 それは大いにあると思います。中国は2007年以降、3~4千キロもの長さの高速鉄道網をものすごい勢いで建設してきました。09年に日本の新幹線は総延長で中国に抜かれましたが、中国全土には建設中の区間もまだまだたくさんある。今後1~2年で総延長は1万キロを超え、最終的に2万キロを超えるとされ、この壮大な国家プロジェクトは現在進行形です。しかも、北京~上海間の「和諧号」のように、世界最高の営業速度で走る時速350キロの区間も多い。

 日本ではあまり認識されていないようですが、実は、北京~上海間の「和諧号」は東京~博多間の「のぞみ」よりも営業速度が速い。少なくともダイヤ上はそうなっています。前に触れたように、北京~上海(1318キロ)の方が東京~博多(1175キロ)の営業距離よりも少し長いのですが、中国は5時間弱、日本は5時間強と、所要時間は中国の方が短い。つまり平均時速は速い。6月に北京~上海間の「和諧号」が走り始めた時点で、すでに高速鉄道の世界的な主導権は中国に移ってしまったと言っていいと思います。

拡大事故から1日半で運行が再開された中国高速鉄道。衝突現場の高架壁の一部は崩れたまま=6月25日、浙江省温州
 その矢先に今回の事故が起こった。日本から見れば面目を失ったと思った、その次の瞬間に相手が勝手に転んだ。

 だから日本の報道関係者にも読者・視聴者にも、内心では「ざまあみろ」と思っている人がいるでしょう。NHKの毎週土曜日朝の番組「週刊ニュース深読み」でも、7月の中国の高速鉄道を扱った回がありました。ゲストは、中国のジャーナリストと特許の専門家、NHK解説委員、女性タレント、それに評論家でタレントの山田五郎氏という顔ぶれでしたが、アナウンサーが「本当に中国の独自開発なのか」と何度も中国のジャーナリストに話しかけていた。彼はもちろん否定するし、専門家や解説委員もその主張に同調していましたが、大方の日本人は、アナウンサーの感じるのと同じ疑問を感じている。

 だからこそ、この番組でもそうした発言が出たのでしょう。「中国はまだ遅れている」「日本よりも速い高速鉄道が自前の技術でできるわけがない」というある種の思い込みがまず先にある。だから今回のような事故が起きると、「やっぱり中国だから」となって思い込みが強化されてしまう。事故の前後で、「中国の独自技術じゃない」と言っていたのに「中国の遅れた技術だから事故が起きた」というふうに、主張が180度変わってしまうのは、実に気持ちが悪い話です。

――結局、日本国内の議論は、自分たちに都合のいいように現状を受け取り、主張しているだけなのかもしれませんね。

 その背景には、これまで中国産の食品に比べて日本産の食品がいかに安全かをアピールしてきたのに、原発事故が起こってから、日本産の食品は中国をはじめ世界中から危険と見なされてしまうなど、一種の「逆転現象」が起こっていることに対する焦りがあるのかもしれません。

 そもそも、日本と中国の地形や地理的条件を比較すると、圧倒的に中国の方が、平地が多いし、国土の面積が広い。ということは、急峻な地形にトンネルを掘ったり、市街地の合間を縫って走るために急なカーブが多かったり、という必要がない。人口も多いけれど、社会主義国ですから用地の買収も容易です。そうした好条件のもとでほんの数年で鉄道網を拡大したとしても、さほど驚くべきことではないと思います。でも、日本では、日本の新幹線建設の苦労と比較して「余りにも拙速だ」「安全軽視だ」「事故は無理をしたツケだ」という論じられ方をしてしまう。様々な初期条件の違いを無視して、中国と日本を同列に論じても意味がない。余りにも自国中心主義というか、あたかも日本が世界標準であるかのような暗黙の前提があるように思います。

――一般の読者や視聴者ならそういう人が多少はいても仕方がないと思いますが、日本の鉄道ビジネスを手掛けている人たちが、そうした視野の狭い議論に巻き込まれているとすれば問題です。

 特に日本の鉄道マニアは、「日本の鉄道ほど時間に正確で無事故なところはほかにない」という「神話」にがんじがらめになっています。日本が常に世界の頂点で、実際に外国の鉄道につぶさに乗ったわけでもないのに、他国は多かれ少なかれ遅れていると思い込んでいる。そうした感覚の人が非常に多い。まるで江戸時代の国学者のようです。でも年々、世界各国の鉄道技術も進化していて、欧米やアジアなど世界の現実はどんどん変わっています。

 私の経験で言えば、例えば2006年に英国に長期滞在しました。ケンブリッジで1カ月半過ごす間に、何度もロンドンとケンブリッジの間を鉄道で往復しましたが、ほとんど遅れませんでした。渡英する前には、「英国の鉄道は毎日といっていいくらい、とにかくよく遅れるから覚悟した方がいい」と言われましたが、現時点で比較すれば、東急田園都市線の方がよほど遅れるでしょう。田園都市線はいったん遅れると、電光掲示の時刻を表示しない。ところが、英国の駅では「15 minutes delay」、つまり「15分遅れ」といった表示が出る。

 こうした表示は、JRの駅でも見かけますが、表示しないよりも親切です。ロンドンのキングスクロスとケンブリッジの間は100キロ弱あり、東海道線でいえば東京~真鶴間に相当します。つまり首都圏でも通勤圏とはいいがたい距離がある。ところが、最も速いケンブリッジエクスプレスと呼ばれるノンストップの電車は、45分で突っ走る。ということは、平均時速は100キロを優に超えます。しかも特急券ではなくて普通乗車券だけで乗ることができます。おそらく、日本でこれに最も近い電車は、秋葉原とつくばの間を45分で結ぶつくばエクスプレスの快速でしょうが、距離は58・3キロで、キングスクロス~ケンブリッジ間よりもはるかに短い。ケンブリッジエクスプレスほど速くて正確な通勤電車は、日本にないでしょう。こうした体験をしたことで、日本の鉄道神話なんて木っ端みじんに砕けました。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

原武史

原武史(はら・たけし) 

1962年、東京都生まれ。明治学院大学教授。専攻は日本政治思想史。著書に『大正天皇』(朝日選書、毎日出版文化賞)、『「民都」大阪対「帝都」東京――思想としての関西私鉄』(講談社選書メチエ、サントリー学芸賞)、『滝山コミューン 一九七四』(講談社文庫、講談社ノンフィクション賞)、『昭和天皇』(岩波新書、司馬遼太郎賞)、『鉄道ひとつばなし』『同2』(講談社現代新書)、『「鉄学」概論――車窓から眺める日本近現代史』(新潮文庫)など。最新刊に『鉄道ひとつばなし3』(講談社現代新書)がある。