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【北大HOPSマガジン】 素顔のブレイヴィック――ノルウェー連続テロ実行犯の政治的人格

遠藤乾(国際政治)

遠藤乾 遠藤乾(北海道大学大学院法学研究科・公共政策大学院教授)

●ブレイヴィックのパラドックス

 いまだ謎がつきまとう。去る7月22日、77人もの罪なき市民の命を奪ったノルウェー連続テロの(ほぼ間違いなく単独)実行犯、ブレイヴィック容疑者のことである。

ビルの窓ガラスが砕け散ったオスロの政府庁舎付近=AP

 そもそも旧友の多くがごく普通の目立たぬ男と形容する彼が、いかにして残虐な殺戮に及んだのか。他にも、イスラムへの憎悪に駆り立てられた彼はなぜ、テロの矛先を自国民に向けたのか。敬虔でもない彼が、なぜキリスト教世界の守護者を自任しているのか。ネオナチと接触がありながら、ヒットラーを嫌い、反ユダヤ主義を採らず、親イスラエルなのはなぜか。欧州独立を謳うものの多くが陥る反米主義に至らないのはどうしてか。

 「極右」や「キリスト教原理主義」といった紋切り型のレッテル貼りが横行するなか、ここでは彼自身の理解に向け、今少し接近を試みたい。以下ではまず回り道でもブレイヴィックの個人史に立ち返り、その後に彼の政治的イデオロギーを検討しよう。

●ブレイヴィックの生い立ちと人となり

 アンネシュ・ベーリング・ブレイヴィックは、1979年、ノルウェー外務省のエコノミストの父と看護婦の母との間にロンドンで生まれた。1歳の時に両親が離婚したのち、比較的富裕な層が集まる西オスロに移り、王族子弟も通うエリート校に在籍し、自身曰く「恵まれた」少年期を送った。

 母親は優しくリベラルに育てたようだ。いわゆる「ママっ子」の彼は、それに対して「規律がなく」「自分を女性化した」と否定的に振り返っている。また、犯行後「(アンネシュは)自殺すべきだった。私は生涯ずっと恥を背負い生きていかねばならない」という驚くべきコメントを残した実父は、息子が16歳の時まではフランスの自宅や別荘に招くなど、それなりのつながりを維持していた。しかし、(アンネシュ自らオスロで一番の描き手とする)スプレイ落書きにより物損で警察に捕まったことをその父が許さず、その後断絶したという。なお、実父母ともに数回結婚している。母親が以前の夫との間に設けた姉とは長らく生活を共にし、いまだに親しい。母親の再婚相手(ノルウェー軍大尉)とも悪い関係ではない。

 子供時代のブレイヴィックは、総じて知的、いささか冷淡で、他と距離をおくタイプだったようだ。若干いじめられたとか、蟻を殺すのに夢中だったという証言も残っているが、同時にいじめられている他の子供の側に立って仲裁することもあったようで、とくに風変わりというわけではない。また、ムスリム系移民の子供ともよく遊んでいた。そうした仲間の一部が10代半ばで「ギャング」となり、自身を含めたノルウェー国民を襲うようになったとき、ブレイヴィックは政治的に目覚めたという。けれども、これは周囲から疑問視されている。名指しされた「友人」の一人は小学校卒業以来会っていないとし、落書きで警察に捕まった時もブレイヴィック自身が通報したという声も聞かれる。

 大学へ行かず「自学」の道を選んだ20歳頃のブレイヴィックは、16歳のころから青年部でかかわりのあった右翼の進歩党に2000年に正式入党し、一層政治化する。24歳のころ(2003年)、その進歩党からオスロ市議会選に出馬し、落選しているようだ。この段階までは、同党と議会への期待が残っていたのかもしれない。

 私生活では、

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