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菅直人首相におけるナルシシズムの罠

佐藤優

佐藤優 作家、元外務省主任分析官

 菅直人政権は、小泉純一郎新自由主義改革の落とし子だった。それは、菅氏の政治モデルが、自立した個体が競争することによって得られた結果を尊重する結果、もっともよい社会ができるという市場競争型だからだ。菅氏が公約に掲げた「最小不幸社会」は、まさに新自由主義的競争の枠組みを確保することが政治の役割という考え方である。

記者からの声に振り返りながら答える菅直人首相=8月12日
 菅氏が首相として、主観的に一生懸命仕事をしたことは間違いない。東日本大震災によってもたらされた危機から脱出するために、菅氏は自らの命を同胞のために捧げるという気構えを持っていたことも筆者は疑っていない。

 しかし、菅氏の努力は空回りし、命懸けの努力も日本の社会と国家を強化する効果をもたらさなかった。なぜだろうか。

 筆者の理解では、菅氏はナルシシズムという罠にはまってしまった。フランスの著名な歴史人口学者で、フランス国立人口統計学研究所の幹部であるエマニュエル・トッド氏は2008年10月に上梓した『デモクラシー以後』で、ナルシシズムが、欧米の政治エリートの間で流行していることについて警鐘を鳴らし、こう指摘した。

 <ナルシシズムという概念は、三〇年前にアメリカ合衆国で姿を現わし、現在のフランスでは至る所で見かけるようになったが、それは描写をするだけで、説明ということをしないのである。教育水準の上昇からは、己の責任性を自覚した、本当に上質な新たな上層階級、すなわちいつでも全体のために献身する構えの数百万人の哲人たちが出現すると期待することもできたはずである。ところがわれわれが現に目にしているのは、内側に破裂した上層集団、すなわち、宗教からもイデオロギーからも無縁になり、獰猛なまでに己自身を気にかける、バラバラの個人の群なのである。彼らは肉体的、性的、美学的自己実現への執念に駆り立てられている。>(エマニュエル・トッド[石崎晴己訳]『デモクラシー以後――協調的「保護主義」の提唱』藤原書店、2009年、123頁)

 菅氏はまさに新自由主義が産み出した、<宗教からもイデオロギーからも無縁になり、獰猛なまでに己自身を気にかける、バラバラの個人の群>に属する1人である。菅氏は、神やユートピアなど人知を超える事柄を信じない。

 このような超越性を欠いた人間の多くは、

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