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【野田流統治システムへの疑問(1)】 「首相補佐官」――政治家の処遇ポストに変質

薬師寺克行 東洋大学社会学部教授

野田政権は一連の人事などで党内外に十分なほどの気配り、配慮を見せてスタートした。鉢呂経済産業省の辞任というハプニングはあったものの、比較的順調なスタートだろう。しかし、これまでのところ野田首相の人事や内閣や党の運営方針を見る限り、財政再建への熱心さは理解できるものの、いったいどういう政策に力点を置き、それをどのような手順で実現しようとしているのかがはっきりしない。党の政調や税調の復活、経済財政諮問会議に代わる国家戦略会議の創設など、「自民党流」を実践しようとしているようにも見える。時代の激変に耐えきれず崩壊した「自民党流」は今の時代に果たして通用するのか。野田政権の統治のあり方についていくつかの疑問点をシリーズで指摘したい。

 最初に取り上げたいのが「首相補佐官」だ。

 首相補佐官は地味で目立たないポストのため、ほとんど知られていない。新聞に掲載される鳩山首相や菅首相の「動静」で、頻繁に首相と会ったり食事を一緒にしたりするので、首相の相談相手くらいに思われているのかもしれない。しかし、最初はそんなに軽いポストとして始まったのではなかった。

 首相補佐官が法律に基づいて設けられたのは1996年の橋本内閣時代の内閣法改正だった。「内閣総理大臣補佐官は、内閣の重要政策に関し、内閣総理大臣に進言し、及び内閣総理大臣の命を受けて、内閣総理大臣に意見を具申する」と規定されている。目的は首相官邸の機能強化で、当初は3人までだったが1999年の改正で5人までに増やされた。つまり、あくまでも「重要政策」について必要に応じて首相にアドバイスをすることが期待されて作られたポストだ。

 自民党政権時代、首相官邸に常駐する政治家は首相、官房長官、官房副長官の3人だけという時期が長く続いた。首相官邸は各省が送り込んだ官僚の集合体となっていたため、首相のリーダーシップが発揮しにくかった。歴代首相にとって官邸機能強化、すなわち政治主導強化は大きな課題の一つだった。

 しかし、官僚の側の抵抗が強かったこともあってなかなか実現せず、細川政権では田中秀征代議士が「首相特別補佐」に、村山政権では与党の自民、社会、さきがけの3党の議員が1人ずつ「首相補佐」として官邸に席を設けたが、いずれも法律に基づかないポストだった。

 橋本政権では首相補佐官を置く目的として、内閣の抱える重要政策の推進を強く意識していた。この問題に深くかかわってきた石原信雄・元内閣官房副長官(事務)は首相補佐官について「それぞれの政策分野の実力者を起用することが望ましい」と語っており、日本を代表するような専門家を起用し、あくまでも政策を取りまとめて実行に移すための推進力としての役割を担ってもらうことが期待されていたようだ。

拡大首相補佐官当時の岡本行夫氏

 事実、橋本首相が法律に基いて1996年11月に初めて起用した首相補佐官は、行政改革担当として元代議士の水野清氏、沖縄問題担当として元外交官の岡本行夫氏だった。中央省庁再編と沖縄の米軍基地の整理統廃合という橋本政権が抱えていた2大案件について、力ある専門家を起用したのだった。

 以後の内閣での首相補佐官をあげると、小渕内閣で町村信孝元文相が教育改革を担当、森内閣と小泉内閣では元建設事務次官の牧野徹氏が都市政策を担当、また、小泉内閣では再び岡本氏がイラク問題を担当したほか、元農林水産事務次官の渡部好明氏が郵政民営化のための「郵政民営化準備室」の室長兼務で補佐官に起用された。このように大半の補佐官は内政・外交の重要政策を進めるために起用されていた。

 その「ルール」が最初に壊れたのが安倍政権だった。安倍首相は政権発足と共に5人の首相補佐官を起用したが、そのうち4人が政治家だった。就任当時政治家ではなかった中山恭子氏はその後、参院議員となった。5人の担当分野は「教育再生」「拉致問題」「国家安全保障問題」「経済財政」「広報」となっていた。一応、担当分野はあったものの漠然としていた面もあり補佐官が何をすべきかはっきりしない点もあった。それ以上に問題だったのは、多くの補佐官が安倍首相と親しい国会議員で占められたことだった。

 国会議員は1人1人が選挙を戦って当選してきた人たちであり、自立性、独立性が高い。一方、首相補佐官の本来の役割は首相のアドバイス役であり、「裏方役」である。従って、現職の国会議員であることと首相補佐官であることというのはそもそも両立が難しい関係にあった。

 そうした懸念は現実のものとなり、安倍内閣の首相補佐官は、内閣の方針とはお構いなく自己PRに努めたり、勝手に政策を打ち出したり、挙句には当時の官房長官と対立してしまう補佐官も登場し、首相官邸は崩壊状態に陥ってしまった。それもあって、続く福田内閣や麻生内閣では派手な首相補佐官起用は行われず、政策中心で国会議員らを任命していた。

 民主党政権になって、再び首相補佐官の性格が変わった。

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筆者

薬師寺克行

薬師寺克行(やくしじ・かつゆき) 東洋大学社会学部教授

東洋大学社会学部教授。1955年生まれ。朝日新聞論説委員、月刊誌『論座』編集長、政治エディターなどを務め、現職。著書に『証言 民主党政権』(講談社)、『外務省』(岩波新書)、『公明党』(中公新書)。編著に、『村山富市回顧録』(岩波書店)、「90年代の証言」シリーズの『岡本行夫』『菅直人』『宮沢喜一』『小沢一郎』(以上、朝日新聞出版)など。

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