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[9]再び、震災と鉄道を考える(上)――「安全」という尺度だけでいいのだろうか?

聞き手=WEBRONZA編集部

原武史

3月の震災から半年以上がたった。しかし、いまだ被災地のローカル線の多くが復旧していない。町の高台移転や路線の内陸部への付け替えも検討されているが、果たして本当にその必要はあるのか。また、首都圏の帰宅難民対策も進んでいるとは言えない。鉄道も節電を迫られているが、そもそも「電化」は本当に必要だったのか。半年後になっても解決できない「鉄道と震災」をめぐる様々な問題点を、鉄道に詳しい政治学者、原武史さんに聞いた。

原武史(はら・たけし) 1962年、東京都生まれ。明治学院大学教授。専攻は日本政治思想史。著書に『大正天皇』(朝日選書、毎日出版文化賞)、『「民都」大阪対「帝都」東京――思想としての関西私鉄』(講談社選書メチエ、サントリー学芸賞)、『滝山コミューン 一九七四』(講談社文庫、講談社ノンフィクション賞)、『昭和天皇』(岩波新書、司馬遼太郎賞)、『鉄道ひとつばなし』『同2』(講談社現代新書)、『「鉄学」概論――車窓から眺める日本近現代史』(新潮文庫)など。最新刊に『鉄道ひとつばなし3』(講談社現代新書)がある。

◆被災した路線は三陸鉄道だけではない◆

――鉄道から日本の政治と社会を見通す政治学者・原武史さんへの連続インタビューも5回目となりました。まずは、原さんの関心も高い三陸鉄道の最新の動きを確認しておきたいと思います。7月に開かれた三陸鉄道の株主総会では、全線の具体的な復旧スケジュールが示されました。陸前野田~田野畑間は2012年4月、吉浜~盛間は2013年4月、小本~田野畑と釜石~吉浜間は2014年4月に復旧。総工費は110~120億円かかるとされています。しかし、国庫負担について現行法上、可能なのは4分の1まで。地元自治体が4分の1、事業会社が2分の1を負担しなければならないのですが、追加支援が今後の国の復興予算に盛り込まれるのかどうか、注目です。一方で、JR東日本が被災した7路線の復旧には1000億円以上かかるとしています。JRは黒字の企業なので本来は国庫補助の対象外です。この問題をどう考えますか。

 鉄道会社が半分負担しなければならないとすると、約60億円になってしまう。これは確かに非常に大変な額です。しかし、被災地の鉄道は三陸鉄道とJR東日本に二分されているのに、世間やメディアではいつも三陸鉄道ばかりが注目されている。私は、まずこのことに懸念を感じています。

 JR東日本の東北太平洋沿岸地域の幹線やローカル線は、現在でもそのほとんどが不通になったままです。八戸線の種市~久慈間、山田線の宮古~釜石間、大船渡線の気仙沼~盛間、気仙沼線の柳津~気仙沼間、石巻線の石巻~女川間、仙石線の高城町~矢本間、常磐線の広野~亘理間と7路線、330キロ近くに及びます(10月10日現在)。三陸鉄道も含めれば、400キロもの線区が、震災から半年近くたっても動いていない。関東大震災や阪神大震災はもちろん、戦時中にもなかったことです。つまり、日本の鉄道史上未曾有の事態が進行しつつあるわけです。ところが、三陸鉄道はまだいいとして、JR東日本の不通区間は、地元メディアはともかく、東京のメディアではほとんど話題にならない。

――それはどうしてでしょうか。

 三陸鉄道は、震災直後から社長が前面に出てきて、前にも触れたように路線を何としても復旧させるという強い姿勢を見せました。だからニュースになった。現に、自ら現地入りして被害の程度を見極めて、震災からわずか数日で短いながらも2区間を復旧させました。全面復旧までの具体的日程や、既存のルートでの復旧も明言しています。

拡大岩手県宮古市の田老駅近くを走る三陸鉄道

 これに対して、JR東日本は、確かに常磐線や仙石線などのように、震災で不通になっていた区間を一部復旧させた線もありますが、それ以外の区間や線の中には、町が高台に移転するまで待つかどうか、という点さえはっきりさせていないところもある。JRの社長は「復旧させる」と言いつつ、地元自治体と既存ルートで復旧させることに合意し、2012年までに復旧させることが決まった八戸線を除けば、肝心の「いつ、どこを復旧させるのか」という点を曖昧にしているので、結局、復旧するかどうかが分からない。「何年何月までにどこからどこまでの区間を復旧させる」という工程表を明言しないのは、極めて不誠実です。両者の姿勢の違いが報道量に現れていると思います。

 三陸鉄道については、そうした会社の姿勢に共鳴する形で、例えば、7月後半に新百合ヶ丘の川崎市アートセンターでチャリティー映画が上映されました。3年ほど前に三陸鉄道の沿線の人々をフィルムに収めた「おらほの鉄道」という映画学校制作の40分ぐらいのドキュメンタリー映画を1日3回、上映した。その2回目を1500円払って見たのですが、百数十人のホールが満席でした。全額チャリティーで三陸鉄道に寄付され、今後、市内を巡回するという。

 そうした自発的な運動が首都圏でも広がっています。潜在的に何か支援したいという人たちがたくさんいるわけですから、彼らに感情のアクセス先を用意することも大事な支援の一つです。総額60億円というと大変な額に思えますが、こうした一つ一つが草の根レベルで全国的な動きにつながれば、数字うんぬんとは別に、人々の感情面で大きな希望が見えてくるのではないでしょうか。

――周囲ができるのはあくまで支援でしかない。被災した当事者が何かをしようという意志なり行動なりがまずないと、支援の輪も広がりにくいということでしょうか。

 そうした支援の輪が広がっていけば、120億円の枠組みについても杓子定規な法解釈に終わらない展開が期待できるでしょう。川崎に限らず首都圏は経済規模という点で大きいので、支援の動きが広がれば大いに希望が持てます。

――映画はどのような内容でしたか。

 三陸鉄道の沿線を北リアス線、南リアス線ともに現地の人々の暮らしを中心に描写していました。例えば、駅員がいない無人駅で、近くに住んでいる80代の老夫婦が毎朝、ボランティアで駅舎を掃除している。確か甫嶺(ほれい)駅だったと思いますが、インタビューの途中で奥さんが感極まって泣き出してしまう。「この鉄道がなくなったらどうしよう」というのです。その横で旦那さんが、「大丈夫だよ」と言って励ましている。海からすぐ近くでロケーションも非常に良い駅での話です。もともと東北、とくに三陸は、「おらほの(私たちの)」と映画のタイトルにもあるように、自分たちで鉄道を残さなければ、という意識がかなり強い地域です。

――そうした沿線住民の思いが地元の鉄道会社にも通底している。

 だから、赤字が膨らんだ国鉄末期に建設された盛線や宮古線、久慈線といった路線を、行き止まりの「盲腸線」のままにしなかった。上記の路線が廃止対象路線に指定されたのを見て危機感を持った地元の自治体を中心に、第三セクターの三陸鉄道を立ち上げて、1984年に三陸を縦断する路線を完成させたわけです。放っておいたら廃止された路線を自分たちで完成させた、という歴史があるから、なおのこと愛着が深い。その点が、JRの路線とは少し違います。

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筆者

原武史

原武史(はら・たけし) 

1962年、東京都生まれ。明治学院大学教授。専攻は日本政治思想史。著書に『大正天皇』(朝日選書、毎日出版文化賞)、『「民都」大阪対「帝都」東京――思想としての関西私鉄』(講談社選書メチエ、サントリー学芸賞)、『滝山コミューン 一九七四』(講談社文庫、講談社ノンフィクション賞)、『昭和天皇』(岩波新書、司馬遼太郎賞)、『鉄道ひとつばなし』『同2』(講談社現代新書)、『「鉄学」概論――車窓から眺める日本近現代史』(新潮文庫)など。最新刊に『鉄道ひとつばなし3』(講談社現代新書)がある。