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カイロのイスラエル大使館の思い出

高橋和夫 放送大学教養学部教授(国際政治)

 1990年代にカイロのイスラエル大使館を訪問したことがある。エジプト・イスラエル関係の状況についてイスラエル側の見解を聞きたかったからだ。カイロの日本大使館を通じて面談の予約を取ってもらった。車で行くと、大使館の入っているビルの前は一方通行になっていた。前には高速道路が走っている。そして、そこには機関銃を装備したエジプト治安当局の車両が構えている。

 ビルの入り口にエジプトの治安当局者が構えており、そこを抜けてビルの中に入ると今度はイスラエルの担当者がいた。丹念な荷物検査があった。エレベーターに乗って指示された階に向かった。階に着くと、まず荷物を渡し、次に鋼鉄製のドアを開けて入ると、もう一枚ドアがある。後ろにしたドアが閉まり、次に二枚目のドアが開いて、めでたく大使館内部に到着した。

 面談してくれたのは女性の外交官だった。大学でアラビア語を専攻したという経歴の持ち主だった。エジプト・イスラエル関係については、エジプトの対応が冷たく、思うように進展していないとの話だった。

 たとえばエジプトのキリスト教徒のなかに、聖地つまりイスラエルに旅行したいという人がいる。だが、実際に旅行をすると帰国後に内務省に呼び出されて厳しい尋問を受ける。そのため旅行者の数が伸びない、とエジプトの対応への不満を説明してくれた。ちなみにエジプトの人口の一割程度はキリスト教徒である。

 また中東地域の非核化構想を当時エジプトが提案しており、イスラエルの核兵器の保有を問題にしたのも、両国関係の摩擦の要因であった。イスラエルは、誰が何を言おうが、核兵器を放棄する意図は持っていないからだ。そもそも核兵器の保有さえ公式には認めていない。

 さらにはエジプトは、イスラエルを承認したものの、存在を承認しただけであって、その正統性を承認したわけではない、とエジプト外交官が発言した例があったようで、怒りをあらわにした。その是非はともかく、イスラエル側の議論と直に触れる貴重な機会であった。

 加えて、PLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長の身辺の安全を守るためにイスラエルがパレスチナ暫定自治政府を情報面で支援しているという興味深い話も伝えてくれた。当時は、オスロ合意の枠組みの下で、イスラエルとPLOの間での交渉が進展している時期だった。

 他では得がたい情報と経験だったので、帰国後お礼の花束の発送を手配した。花びらの一枚一枚まで徹底的に検査された花が届いただろうか。

 長らくアラブ諸国から承認を拒絶されてきたイスラエルにとっては、カイロのイスラエル大使館は心理的に重要である。

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