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「政治主導」のスローガンを超えた制度設計を!

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 キヤノングローバル戦略研究所(CIGS、http://www.canon-igs.org/)が、「政治任用制度のあり方に関する研究」(研究主幹:宮家邦彦)を実施している。その研究プロジェクトでは、日本における「政治任用制度」(Political Appointee System)のあり方について考察、その長所と短所、運用上の問題点などを検証し、日本に適した制度を研究している。その一環として、政治任用制度に関する興味深い多くのコラム(注1)が掲載されている。

 日本はこの20年間、国際社会と日本社会の急激な変貌、そして従来の行政中心の政策形成では対応できず、従来の手法自体が機能不全化するなか、政治主導の政策形成を実現しようとしてきた。そのため、選挙区制度の改正、省庁再編、官邸機能の強化、公務員制度改革の実現などがおこなわれてきた。マニフェストの導入や政党シンクタンクの設立(注2)、そして政権交代も実現された。さらに、政権交代で政治主導を実現するために、民主党は英国などを訪れ、その制度や経験から学ぶ努力もなされた。

 だが、現実の政治や政策形成をみても、政治主導が実現したとは必ずしもいえない。むしろそれらの混迷と低迷が深化し、野田政権では、従来の官僚中心の政策形成の手法に回帰しているようにみえる。

 CIGSのコラムを読めば、さまざまな努力にもかかわらず、なぜそのような事態に至っているかの理由がよくわかる。

 日本では、「政治主導」が長らく叫ばれてきた。しかし、その実態は政治的スローガン、政治的アピールとしてその言葉が使われてきたに過ぎない。その「政治主導」によってなされてきた多くの改革は、あくまで表層的で、本来の目的が実現されることがなかったといえる。

 このことは、かつて「原発事故調は、政治インフラの第一歩だ!」(注3)で論じたように、日本には、戦後民主主義の概念は導入されたものの、それを実現するための政治・政策インフラが十分に整備されてこなかったことと同じ文脈にある。

 日本で「政治主導」というと、すぐに「米国型シンクタンクの設立」や「政治任用の導入」などがいわれる。それは日米社会の違いを無視した上滑りな議論であることが、CIGSのコラムでも述べられている。筆者も、「米国型シンクタンクの設立」を長らく訴え、活動してきたが、そのような活動をすればするほど、現在の政治の問題や課題は、単にシンクタンクを設立すれば解決できるような簡単なことではなく、日本社会の政治制度や日本の民主主義の本質の問題に関わっていることにも気付いてきている(注4)。

 ここで、CIGSのコラムを引用しておこう。

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