2011年11月24日
実はアメリカへの留学生の数で首位だったのは、かつてはイランであった。1973年の第一次石油危機は、産油国にとっては危機ではなく石油収入の増大を意味していた。
その収入を背景にイランは多数の留学生をアメリカに送った。その数はピーク時には5万人を超えていた。アメリカのどの大学でもイラン人に出会ったものである。王制の時代には、学生数が増えると政治問題化しやすいというのでシャー(王様)が、イラン国内の大学数を抑えていた。そうした背景もあり、豊かになったイラン人たちが奔流のようにアメリカに留学していた。
しかし1979年のイラン革命そしてテヘランでのアメリカ大使館人質事件などを経て、イラン人留学生の数は激減した。およそ10年後の1999年頃には、1600名程度にまで落ち込んだ。その後、アメリカに留学するイラン人の数が増え始め現在の5000名台にまで戻ってきた。留学生の8割が大学院レベルで学んでおり、大学学部レベルは比較的に少ない。
この留学生のうちの多くは、結局は帰国せずイランにとっての頭脳流出となっている。特に
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