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広田照幸さんに聞く 「ポスト震災の教育をどう考えるか」――(3)教育の目標は達成できないのがあたりまえ

聞き手=WEBRONZA編集部

――『ヒューマニティーズ 教育学』(岩波書店)の「はじめに」では、「いや、日々われわれは教育に失敗している。よかれと思ったことが裏目に出たりするのが教育である」という文章が印象に残りました。

広田 教育に失敗はつきものだ、という認識がもっと世間で了解される必要があります。教育は、ある種の「賭け」です。歴史上、このことを前提としない多くの教育改革が同じ過ちを犯してきました。ブレツィンカの表現を流用すれば「いかなる状況においてもその適用が正当と言えるような教育的行為の形式、『教育的措置』あるいは『教育手段』は存在しない。それらがいかに作用するかは、そのつどそれらが用いられる相互作用システムの全体に依存する」のです。

 最近は、PDCAサイクルとか、教育振興基本計画とか、目標を立てて目標の達成に向けて教育をやっていって成果をあげようという議論が横行しています。でも、教育は思った通りにはならない。そこで悲喜劇というか、そんなものがあちこちで展開しています。細かく詳細な教育目標を立てて、そのための手段も細かく設定する。――しかし、いざ実際の教育はそんな思い通りの結果は得られないから、つじつま合わせに苦労する、といった感じですね。政治家や官僚が誤解しているのは、目標と手段を細かく決めさせれば、上で望んでいる通りの結果が得られるだろうという、あまりに単純な議論でやれると思っている。でもそれは、教育の本質を知らない暴論です。

――そうなると、世間一般の単純な教育改革論の多くには期待できないことになりますね。

広田 教育は、工場のラインでチーズを製造するのとは違うんですよ。工程管理をしっかりやれば望み通りの製品ができる、といったものとは違う、ということです。

〔「受験のため」は理想・理念の放棄〕

――考えてみると、絶望的になりそうですね。高い目的や目標を掲げても、現実の教育の成果がそれを実現できるわけではない。

広田 そうなんですよ。教育は思ったふうにはできない。だからこそ、乱暴な改革と並んで、もう一つのやっかいな事態が生まれます。

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