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金正恩の北朝鮮には、機を待ち、「守勢」を旨として

櫻田淳 東洋学園大学教授

 十二月十九日正午、金正日(北朝鮮国防委員会委員長)の逝去の報が伝えられた。特にテレビ・メディアは、午後以降、この件に関するニュースを「一つの衝撃」として繰り返し流している。金正日の後継は、金正恩(朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長)で決まっているものの、その後の推移は予測し難い。

 金正日逝去の影響を受けるのは、当然のことながら、李明博(韓国大統領)執政下の韓国である。李は、親族の不正といった政権末期特有のレーム・ダック現象を露わにしているけれども、この事態を「非常時」と位置付けることによって政権への求心力を高めようとするぐらいのことは考えているであろう。

 また、韓国は、直近に至って、海上警察官の殉職を招いた中国漁船違法操業案件に絡んで中国、そして従軍慰安婦案件に絡んで日本と関係を悪化させているけれども、この期に及んでは日中両国との緊張を緩和せざるを得ないであろう。北朝鮮の「動揺」に直面した韓国には、日中両国との関係悪化を放置して、自ら孤立状態に追い込んでいる暇はない。

 日本の対北朝鮮政策は、当面の間、「守勢」を旨としなければなるまい。日本の対朝政策の骨子は、「拉致・核・ミサイルを包括的に解決する」というものであり、それ故にこそ、「六ヵ国協議」という枠組の下での議論が、重視されたのである。

初の首脳会談を終えた金正日総書記(左)と小泉純一郎首相(当時)=2002年9月17日、平壌で

 ただし、こうした対朝政策方針は、金正日という「権力の中心」が確(しっか)りと存在していることを前提としていた。訃報に接した小泉純一郎(元内閣総理大臣)は、「私は二回、金総書記と会談しているが、元気なうちに拉致問題、核、ミサイル問題を解決して、日朝(国交)正常化への道筋を付けたいと思っていた。残念だ」と語った。

 「(金正日が)元気なうちに道筋を付けたかった」という小泉の所見は、誠に

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