春名幹男
2011年12月21日
実は、北朝鮮の金正日総書記が死去した12月17日になぜか、北朝鮮が6カ国協議再開に向けて舵を切っていたことが明らかにされた。
韓国メディアがこの日報じたところによると、北朝鮮は米国から北朝鮮に対する食糧支援の見返りとして、ウラン濃縮活動を中断すると表明した、というのだ。6カ国協議再開をめぐっては、「無条件再開」を主張していた北朝鮮に対して、日米韓3カ国は北朝鮮のウラン濃縮停止を前提条件に掲げていた。
北朝鮮はなぜこの時点で政策を変更したのだろうか。
金正日氏の死と北朝鮮の政策変更には恐らく直接的な因果関係はないが、間接的には重要な関連があるとみてよい。北朝鮮は、3男の金正恩氏を後継者と決めた2010年9月の朝鮮労働党「党代表者会」以降、正恩氏の確実な権力掌握に向けた歩みを始めていたからだ。
2012年は北朝鮮が「強盛大国の大門を開く」としている初代の金日成国家主席の生誕100年に当たる。3代目の後継者、金正恩氏の権力基盤固めを最優先するのは必然的とみられる。
2010年の党代表者会に際して、情報機関を束ねる呉克烈国防副委員長が党人事から完全に外された。在日関係筋によると、「呉克烈氏は3代目に反対した」との情報もある。その情報の真偽にかかわらず、次期金正恩体制の前途はむしろ多難とみるべきだ。
20年以上かけて金日成主席から権力を継承した金正日氏とは対照的に、金正恩氏は後継指名からまだ1年余しか経過していない。
正恩氏を称える北朝鮮メディアのプロパガンダはテンポを上げていると伝えられる。しかし、
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