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金正日総書記の日本語通訳

高橋和夫

高橋和夫 放送大学教養学部教授(国際政治)

 2002年の晩夏、平壌を訪れた。先方の見せたいものを見るパックツアーであった。しかし、それでも興味深かった。案内の通訳の日本語の流暢さに舌を巻いた。郊外の港からバスで平壌に入ったのだが、道路は良く舗装されていた。対向車には出会わない。トンネルは照明がなく真っ暗であった。ただ他に走っている車が皆無なので、それでも安全なのだろう。

 農村風景の中を走った。バスの窓からは、特に貧しいとの印象は受けない。農地は良く耕してある様子である。ただ、日本の農村で見かける雑草一本もないという整然さは感じない。夕方だったので、作業を終えた農民が集まっている。送迎のバスでも待っているのだろうか。

 平屋建ての農村風景を見慣れた目に、壮大な平壌は大きく見える。古代の日本人が奈良の都を見た際には、こうした感覚を覚えたのだろうか。白い建物が多い。整然とした都市である。巨大な博物館など記念碑的な建物が多い。ワシントンを思い出した。どちらの都市も、ある意味で巨大な墓地を思わせる。イギリスの『ガーディアン』紙が、かつて平壌を「社会主義のディズニーランド」と表現していたのを思い出した。ホテルは川中島に建つ超高層のビルだった。部屋のベッドには、普通の布団が置いてあった。

金正日総書記の死去後も、板門店で向き合う南北の兵士=12月23日、国連軍の許可を得て朝日新聞社撮影

 翌日だったろうか、地下鉄に乗ったり、コンサートに行ったりした。印象に残ったのは、歴史博物館のような場所での説明だった。この国を建国した金日成主席の功績を日本語で説明された。その口調の熱っぽさに、古い記憶がよみがえった。

 1980年にソウルから軍事境界線の板門店にツアーに行った時である。ガイドが、韓国が「ホッカン」の脅威を防いでいるからこそ日本の安全と繁栄があると流暢な日本語で熱く語っていた。「ホッカン」という言葉に一瞬迷った後に「北韓」だと頭の中で漢字に変換できた。この半島の人々は、日本人に語る時は熱くなるのだろうか。

 平壌からのツアーで、その板門店に行った。これで南北の両方から、この不思議な空間を見た。

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