メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

[2]不信の存在

朴裕河 世宗大学校日本文学科教授

●「これまでの経過と現状」

 まず「慰安婦問題」をめぐるこれまでの経過を簡単に整理しておきます。

 1990年1月、韓国の女性学者ユン・ジョンオク氏が「挺身隊取材記」を韓国の「ハンギョレ」新聞に連載し、韓国ではこの問題が広く知られるようになります。

 日本ははじめ「民間業者が軍とともに連れ歩いた」として軍の関与を否定します。それを受けて韓国では、多くの女性団体が日本政府に抗議する書簡を送り、「慰安婦」問題を解決するための「韓国挺身隊問題対策協議会」が発足します(最初のうちは 「慰安婦」と「勤労挺身隊」が混同されて、韓国民の怒りを大きくした側面もあります)。

 そして翌1991年、金学順氏がはじめて「慰安婦」だったとして名乗り出、12月には「元慰安婦」たちが日本の謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴しました。そこで日本政府も調査に乗り出します。1992年、軍の関与を示す資料が見つかり、宮沢内閣はこの年と次の年にかけて二度調査結果を発表し、1993年当時の官房長官河野洋平氏による「河野談話」を発表して謝罪を公式に表明します。同じく1993年にはフィリピンからも「元慰安婦」だったと名乗り出る人があり、「慰安婦」問題は日韓以外の国家も含む問題として国際化するようになります。

 1994年、村山富市首相は問題解決のために国民参加を得る構想を発表し、与党三党(自民、社会、さけがけ)による「戦後50年問題プロジェクト」を発足させます。このプロジェクトの小委員会は問題解決の検討に入り、国民参加のもと、問題への取り組みとともに女性たちの名誉と尊厳回復のための活動などへの支援を提言し、1995年には衆議院本会議で「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」を採択します。

 また当時の五十嵐広三官房長官が「女性のための平和友好基金」の事業内容や基金の呼びかけ人を発表し、同年7月に「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、「基金」とする)が発足します(理事長は原文兵衛前参議院議長)。8月には「基金」から呼びかけ文が発表され、このとき村山首相は「ごあいさつ」をよせます。また、基金の活動に必要な協力を政府が行うとの閣議了解があり、基金は新聞などを通じて呼びかけを行います。

 しかしこの間も韓国や日本の支援者の基金反対派の活動は続き、国連にも働きかけ、1996年には国連人権委員会にスリランカのクマラスワミ氏が報告書を出します。同年、基金は、「慰安婦」一人当たり200万円の「償い金」、「総理の手紙」を渡すことを決め、そのほか「慰安婦」のために7億円規模の医療福祉事業の実施を発表します。そして8月に「償い事業」を開始します。

 1997年には韓国でも事業が開始されますが、激しい反対の中、償い金を受けると申し出た7人の「元慰安婦」に手紙と償い金を渡します。ところがインドネシアについては「高齢者社会福祉支援事業」として支払うことをインドネシア政府と合意し、被害国によってその補償の具体的な形は少しずつ違っていました。1998年、再び国連の「差別防止・少数者保護委員会」にマグドゥカル氏が報告書を出します。

 2000年には村山元首相が二代目の基金理事長に就任します。このときは国民の募金は5億円を超えていたといいます。同じ年の暮れ、基金に反対する日本、韓国その他の支援者たちは東京で「女性国際戦犯法廷」を開き、この問題に関して昭和天皇を「有罪」とする判決を下します。

 2002年までに基金はフィリピン、台湾、韓国の285人に償い金を渡したとしてこれらの地域での事業を終了します。この間「慰安婦」たちは政府を相手にした裁判を行いますが、一度勝訴するも(山口地裁、関釜判決)最高裁で敗訴し、現在までにすべての訴訟は敗訴しています。そして2007年3月、アメリカの下院で「慰安婦」問題解決案の採択に対して、当時の安倍晋三首相が「慰安婦への狭義の強制性はなかった」とした発言が国際問題化します。同じ3月に基金は解散します。 

 以上が、現在までの「慰安婦」問題をめぐる経過です。

 この間も韓国では基金反対と国会議決に基づく別の「謝罪と補償」を求める動きが続き、基金と挺身隊問題対策協議会の対立は深まります。韓国政府は日本政府との対立を続けながら「慰安婦」たちに基金の補償金に近い金額を独自に支払ってもいます。

 そして2005年、日韓会談の会議録を公開する中で、個人賠償は政府が代わりに支払うことにして一括して韓国政府が受けとったことが明らかになります。その後会談直後の事業が不十分だったとして、植民地時代の被害者のための法律を作り新たな補償事業が行なわれました。

 今もなお韓国の「慰安婦」たち60人ほどが、日本政府を相手に訴訟中です。その意味では、現在の「慰安婦」問題とは、まずはこの60人に対してどのような対応をすればいいのか、という問題とも言えます。

 ここ数年、韓国政府は日本政府に対して「慰安婦」問題の解決を積極的に働きかけるようなことはしませんでした。そこで「慰安婦」たちと支援団体は、日本国に対して「日本軍『慰安婦』としての賠償請求権」を持っているにもかかわらず韓国政府が日本側に働きかけないのは政府の責任を果たしていないことだとして、2006年に韓国の憲法裁判所に訴訟を起こしていました。

 それは、1965年の「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」で、両国の「解釈上の紛争」がある場合は第三国を交えて協議することにした条項を根拠にしてのことです。

 そして2011年8月、憲法裁判所は韓国政府が日本政府に働きかけないのは憲法違反との判決を下しました(http://www.asahi.com/international/update/0830/TKY201108300493.html)。それを受けて韓国政府が動き出し、まずは両者で協議のテーブルに付くことを日本政府に申し出ているのが、ここ数ヶ月の状況です。

 しかし今のところ日本政府は「1965年で請求権問題は終わった」とする立場のままです。そして先日、韓国政府は、いよいよ「第三国」をまじえての調整に入るための予算を来年度予算に組みました。

 つまり今日本は、このまま無対応で一貫するのか、第三国を交えての協議に入るのか、あるいは韓国政府の最初の要請に応じて二者協議に入るのかを決めるべき時期に来ているのです。

 そこでまず言えるのは、「第三国」を入れての協議は、両国にとってともに望ましい解決策とは言えない、ということです。それは、日韓の関係者たちほど、この問題について精通している人物を第三国から得ることはおそらく難しいからです。

 となれば、結局両方の国家や支援団体はこれまでのようにそれぞれ自国の言い分を主張するほかなく、結局は情報戦(ロビ-戦)になるほかないでしょう。その結果は、2007年に欧米の議会が次々に日本に向けて新たな「公式」謝罪をするよう要求する議決を出したときと同じことになる可能性が大きいのです。

 2007年の「慰安婦」問題をめぐる動きについては後で改めて触れますが、その結果から見えてきたのは(欧米の人に「世界」を代表させておくとして)、現在「世界」は、この問題において日本の味方ではない、という現実です。

 しかし、そのような結果では日本政府としては納得がいかないでしょう。

・・・ログインして読む
(残り:約2944文字/本文:約6028文字)