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サダム・フセインが私に握手しながら言ったこと

高橋和夫 放送大学教養学部教授(国際政治)

 12月はイラクを思う事の多い月である。2011年の12月つまり今月の15日にアメリカ軍がイラクからの撤退を完了した。9年に及ぶイラク戦争が、アメリカにとっては終わった。

 思い起こせば、アメリカがイラク戦争を開始したのは、2003年3月であり、早くも4月にはフセイン政権を崩壊させた。しかし大統領のサダム・フセインは、地下にもぐり姿を隠した。やっと同年の12月になってアメリカ軍はフセインの拘束に成功した。このフセインが処刑されたのも、やはり3年後の2006年の12月であった。

拡大サダム・フセイン

 このフセインに1990年に会った。イラク政府の招待でバグダッドを訪れた際であった。1980年から1988年まで続いたイラン・イラク戦争に関して、イラクに批判的なコメントを発表していた筆者は、この招待に驚いた。1980年のイラクのイラン攻撃を侵略戦争であると批判したし、同国による戦争中の化学兵器の使用を人道に対する犯罪である、とイランや日本のメディアで発言していたからである。

 こんな私でもよいのかと確認すると、東京のイラク大使館の日本人スタッフだった阿部政雄さんという方が、「高橋先生にもイランとイラクの両方を見てコメントをいただけるとよいと思いまして」という旨の返答を下さった。

 バグダッドではイラクと連帯する国際会議なるものに出席した。どうも私は日本代表団の一員らしかった。この会議の内容は、多くの会議と同様に退屈だった。

 しかし、会議でのイラク人の行動が興味深かった。誰が何の話をしているにしろ、フセイン大統領という言葉が出ると、拍手するのであった。また、ときおり立ち上がって絶叫する人がいた。誰が何をしているのかと聞くと、フセイン大統領をたたえる詩を思いついたので朗誦している即興詩人だという。そこで、会場は拍手また拍手となる。

 会議の最終日に、参加者はバスに乗せられた。どこに行くのかとか、何のためにとか、まったく説明がなかった。厳重な検査の後で行き着いたのはイラク議会であった。そこでフセイン大統領が現れ、短い演説をした。うまくはなかった。

 会がお開きになった。参加者が列を作ってフセイン大統領に挨拶をしている。私は帰ろうとしたのだが、同行していた大使館の阿部さんが、日本とイラクの友好のために、挨拶でもいかがと言う。やむなく列に加わった。フセインは、あまり好きな人物ではない。この男の始めた戦争で破壊されたイラン南西部を訪れた経験もある。きれいごとでは済ませられない。何か言わねば。しかし度を過ごした発言をすると一生涯バグダッドということにもなりかねない。私の順番が来た。

 「イラクが二度と戦争に巻き込まれませんように」という言葉が、口からこぼれ出た。 ・・・ログインして読む
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筆者

高橋和夫

高橋和夫(たかはし・かずお) 放送大学教養学部教授(国際政治)

北九州市出身、放送大学教養学部教授(中東研究、国際政治)。1974年、大阪外国語大学ペルシャ語科卒。1976年、米コロンビア大学大学院国際関係論修士課程修了。クウェート大学客員研究員などを経て現職。著書に『アラブとイスラエル』(講談社)、『現代の国際政治』(放送大学教育振興会)、『アメリカとパレスチナ問題』(角川書店)など多数。ツイッター https://twitter.com/kazuotakahashi ブログhttp://ameblo.jp/t-kazuo 

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