2011年12月29日
平岡大臣の発言は、これまでの立場を変えるものではなかったが、大臣の穏やかな表情に、その時点で本年の執行はないと確信した。また、大臣は、「死刑制度について、国民的な議論の場が必要な時期にきており、国会に調査会を設置することが望ましいが、(その前提として必要な)民主党内の調査会さえ設置できない状況にある」と、党内外において死刑制度を取り巻く環境に大きな進展がないとの認識を示した。
日本で死刑制度が論じられるとき、常に対極的な意見がぶつかり合い、議論がなかなか深まらない。アムネスティ・インターナショナルをはじめとする多くの死刑制度廃止派は、「死刑は、人間の生きる権利を侵害し、残酷で非人道的な刑罰であると共に、罪を犯した人が更生し、社会復帰する可能性を完全に奪う制度である」と、原則論を主張する。
その一方で、死刑制度存置派が持ちだす反論は、「被害者やご遺族の人権はどうなるのか。自分の家族を殺した犯人でも、あのサリン事件の首謀者である麻原彰晃(松本智津夫)でも、死刑に反対できるのか」等と、被害者の立場から反対しにくい例を持ち出して感情面に訴える。
両者の意見の深い溝を埋めるのには、まだまだ相当な時間を要するであろう。しかしこの意見のどちらかが正しいかではなく、まずは死刑制度について様々な観点から議論することが重要ではないだろうか。そうすれば、少なくとも死刑制度を維持することの問題点の大きさには気づくはずである。
だからこそ、事の重大性を認識した国際社会は、死刑制度の廃止に向けて動き出しており、既に140カ国が死刑を廃止(法律での禁止、もしくは執行停止10年以上)している。死刑存置の代表国であるアメリカでさえ、2010年に死刑を執行した州は、全米50州のうち12州のみであり、本年、イリノイ州は法律で死刑を廃止した16番目の州となった。日本も国際社会の一員として、国連を中心とした死刑廃止の潮流を尊重し、何故、多くの国が死刑を廃止するのか、まずは多角的な観点から国民的な議論を行うべきである。
以下、何故、死刑を維持することが問題なのか、2点のみ簡潔に述べたい。
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