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6月26日に偶像化が始まる?――「金正恩の母」日本時代の身上調書

小北清人 朝日新聞湘南支局長

 ついに彼女が今年、「北朝鮮の国母」として大々的なプロパガンダとともに表舞台に登場する可能性が出てきた。

 故・金正日(キム・ジョンイル)総書記の妻で新指導者・金正恩(ジョンウン)氏の母親、高英姫(コ・ヨンヒ)夫人のことだ。

 正恩氏を「若き天才的軍人指導者」と描いた記録映画を北朝鮮宣伝当局は1月8日、北の国営テレビで50分にわたり放送したが、その中で彼の母親のことが初めて、言及されたのだ。

 正恩氏はこう言ったと番組は伝えた。

 「(金総書記の誕生日の)2月16日、現地指導の道から帰らない将軍様を、お母様とともに夜通し待ったこともありました」

 1月8日は正恩氏の誕生日といわれている。新体制には新たな革命伝説が必要であり、誕生日に放映されたこの記録映画はその第一弾といえる。朝鮮総連もこの映像を学習資料に使い始めた。であれば、母親への言及は、「先軍革命継承の聖家族物語」の始まりではないか、というわけだ。

 その高英姫夫人が大阪生まれの在日朝鮮人で、日朝両政府の合意のもとに1959年から始まった北朝鮮への帰国事業で、家族とともに北に渡った「帰国者出身」であるのはよく知られている。20歳前後で北朝鮮有数指折りの歌劇団「万寿台(マンスデ)芸術団」に進んだ彼女は「北朝鮮の若き指導者」金正日氏の目に留まる。金総書記との間に、正恩氏ら3人の子供を産んだ彼女は「陰の実力者」として権勢をふるったが、2004年にがんで死亡した。

 だが日本生まれであるにもかかわらず、彼女の「在日時代」については半世紀以上前のことでもあり、情報は錯綜している。

 それでも、少しずつだが、謎のベールは剥(は)がれつつある。

 北朝鮮帰国時の記録入手など、高英姫夫人の追跡調査を続ける韓国の北朝鮮専門ネット新聞「デイリーNK」東京支局長の高英起(コ・ヨンギ)氏によれば、彼女の「身上調書」はこうだ。

 1952年6月26日、大阪生まれ。

 在日時代の名前 高姫勲(コ・ヒフン)。別に通名(日本名)も使う。

 在日朝鮮人が多く住む大阪の鶴橋で暮らす。家は鶴橋地域にある小学校の裏手にあった。

 父親は高ギョンテク。1913年、済州島生まれ。朝鮮半島は当時、日本の植民地統治下にあった。1929年に済州島から大阪に渡る。日本人の経営する裁縫工場で働く。

 母親は李某。

 1962年後半、10歳で両親と兄、妹とともに新潟港から帰国船で北朝鮮に渡る。北朝鮮の地方に住むようになってから、名前を「高ヨンジャ」に変える。「姫勲」が男っぽい名前であるため改名した可能性がある。

 1972年暮れの時期までに、「高英姫」と改名。「姫」を使ったのは在日時代の名前が「姫勲」だったからか。このときすでに彼女は金正日総書記の恋人となっていた。73年夏、万寿台芸術団の一員として来日。周囲からは、まるで腫れ物に触るような扱いだったという。

 デイリーNKの高英起支局長が収集した関連資料の中に、ひとつ、奇妙な点があった。

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