2012年01月21日
故・金正日(キム・ジョンイル)総書記の妻で新指導者・金正恩(ジョンウン)氏の母親、高英姫(コ・ヨンヒ)夫人のことだ。
正恩氏を「若き天才的軍人指導者」と描いた記録映画を北朝鮮宣伝当局は1月8日、北の国営テレビで50分にわたり放送したが、その中で彼の母親のことが初めて、言及されたのだ。
正恩氏はこう言ったと番組は伝えた。
「(金総書記の誕生日の)2月16日、現地指導の道から帰らない将軍様を、お母様とともに夜通し待ったこともありました」
1月8日は正恩氏の誕生日といわれている。新体制には新たな革命伝説が必要であり、誕生日に放映されたこの記録映画はその第一弾といえる。朝鮮総連もこの映像を学習資料に使い始めた。であれば、母親への言及は、「先軍革命継承の聖家族物語」の始まりではないか、というわけだ。
その高英姫夫人が大阪生まれの在日朝鮮人で、日朝両政府の合意のもとに1959年から始まった北朝鮮への帰国事業で、家族とともに北に渡った「帰国者出身」であるのはよく知られている。20歳前後で北朝鮮有数指折りの歌劇団「万寿台(マンスデ)芸術団」に進んだ彼女は「北朝鮮の若き指導者」金正日氏の目に留まる。金総書記との間に、正恩氏ら3人の子供を産んだ彼女は「陰の実力者」として権勢をふるったが、2004年にがんで死亡した。
だが日本生まれであるにもかかわらず、彼女の「在日時代」については半世紀以上前のことでもあり、情報は錯綜している。
それでも、少しずつだが、謎のベールは剥(は)がれつつある。
北朝鮮帰国時の記録入手など、高英姫夫人の追跡調査を続ける韓国の北朝鮮専門ネット新聞「デイリーNK」東京支局長の高英起(コ・ヨンギ)氏によれば、彼女の「身上調書」はこうだ。
1952年6月26日、大阪生まれ。
在日時代の名前 高姫勲(コ・ヒフン)。別に通名(日本名)も使う。
在日朝鮮人が多く住む大阪の鶴橋で暮らす。家は鶴橋地域にある小学校の裏手にあった。
父親は高ギョンテク。1913年、済州島生まれ。朝鮮半島は当時、日本の植民地統治下にあった。1929年に済州島から大阪に渡る。日本人の経営する裁縫工場で働く。
母親は李某。
1962年後半、10歳で両親と兄、妹とともに新潟港から帰国船で北朝鮮に渡る。北朝鮮の地方に住むようになってから、名前を「高ヨンジャ」に変える。「姫勲」が男っぽい名前であるため改名した可能性がある。
1972年暮れの時期までに、「高英姫」と改名。「姫」を使ったのは在日時代の名前が「姫勲」だったからか。このときすでに彼女は金正日総書記の恋人となっていた。73年夏、万寿台芸術団の一員として来日。周囲からは、まるで腫れ物に触るような扱いだったという。
デイリーNKの高英起支局長が収集した関連資料の中に、ひとつ、奇妙な点があった。
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