2012年02月08日
この問題に対する多くの批判は「都合の悪いことを隠そうとしたのではないか」「民主主義にとって記録を残すことの重要性が分かっていない」など、将来、政府の対応が検証されることができなくなるという観点からなされている。
しかし、民主党政権で議事録がないのは何も震災対応の会議だけではない。「政治主導」の名のもとで行われる「政務3役会議」などさまざまな政策決定のための会議に関する記録が作られてない。何が話し合われ、何が決まったかという肝心なことがきちんと記録されず、閣僚間で共有もされないまま、政権が運営されている。その結果、個々の議員の記憶や勝手な解釈で物事が進められる。そのことの方が深刻な問題なのだ。
東日本大震災発生当時に官邸に詰めていた政治家や官僚に聞くと、あの大混乱の中で次々と開かれる会議の議事録を作るということはおよそ考えられなかったという。議事を作るには当然、担当者が必要になる。それも連日連夜、会議の連続であるから相当の人数が必要だったろう。しかし、各省官僚が総がかりで走り回り、時に怒号が飛び交う中で、どの役所にも記録を作成するための職員を出す余裕などなかったろう。
議事録作成は簡単なことではない。担当者が会議中に発言内容をメモしたり録音したりし、終了後にそれを文章に起こし、さらに間違いがないかなどをチェックする作業が必要だ。ある程度の専門的技術が必要でもある。国会は衆参両院とも本会議と全ての委員会の議事録を作成している。そのために衆院と参院にはそれぞれ4つの課からなる記録部という大きな組織があるくらいだ。もちろん首相官邸にも各省にもそんな専門組織はない。
元来、霞が関の中央官庁は法律や予算などに関する文書、閣僚のための国会答弁や閣議での発言要領などを作成することは得意だ。しかし、省内の議論や他省との協議、与党との調整など政策決定過程に関する記録を残すことは本質的に消極的である。そんなものが表に出ると、自分の判断の正当性が問われかねないなどの懸念があり、基本的に自己防衛のために完成品しか残さないのだ。
例外は外務省の外交文書だろう。他の省庁が日本国内の調整や協議で自己完結的に政策を決定できるのに対し、外交の世界は他の国や国際機関が相手である。そして国益のかかった外交交渉は相手も必死であり、過去の経緯や相手国の主張などを踏まえなければ勝負にならない。そのため外交の分野だけはどの国も、相手側の主張や交渉経過などを克明に残し引き継いでいる。
民主党政権になって岡田克也外相が日米間の密約について、省内に調査を指示し報告書をまとめることができたのも、日米首脳会談の記録をはじめ、膨大な数の外交文書が保管されていたため可能になったのだ。
官僚が昔から記録を残すことについて消極的だったのかというと、そうではないようだ。
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