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[7]新たな「補償」に出るべき三つの理由(中)

朴裕河 世宗大学校日本文学科教授

 日本は1990年代に、「補償金」を実質的に支払っています。しかし、残念ながら韓国に対してはその努力は十分に効をなしませんでした。以前書いたように、韓国の被害者の多くは受け取らなかったのです。受け取った人もいるのだから、受け取らないのは仕方がない、日本はやるだけのことはやった、と考える方も多いでしょう。

 そのことについては改めて書きますが、ともかくも今は、基金の補償金をもらっている朝鮮人慰安婦は「半分にいたらない」(和田春樹「日本の戦後和解の努力とアジア女性基金」『過ぎ去らぬ過去との取り組み――日本とドイツ』佐藤健生、ノルベルト・フライ編、岩波書店、2011・1)ことを思い起こすべきだと思います。

 「基金」は、1990年代の考え方――1965年の条約と補償で「法的責任」は済んだものとの考え――に基づいて「道義的責任」と意味づけました。そして、それを「国家補償」でないとして基金を批判した人々は、補償の主体が「民間」になるのは責任を「あいまい」にするものだとして批判しました。しかしあいまいだったのは、補償主体ではなく、国家補償に近い補償をしながらも政府のかかわりを明確に示さなかった、「態度」のほうだったといえます。

拡大アジア女性基金の解散について記者会見した後、アジア各国の女性記者の質問に答える村山富市理事長=2007年3月6日

 アジア女性基金の補償事業には、52億円近くものお金が使われました(和田春樹、同)。そのうち46億円以上、つまり90%に近いお金が政府のお金でした。その金額からしても、あの時の補償の主体が「国家」であること(むろん、それは「国民のお金」でもあります)は明らかです。

 基金のもうひとつのミスは、「慰安婦」たちを区別しなかったことにありました。「慰安婦」がいたとされる国家は、日本、台湾、韓国、フィリピン、インドネシア、オランダの6つの国と地域でした。彼女たちはみんな同じ境遇のひとであるかのように扱われましたが、実はその境遇はみんな違っています。

 インドネシアやフィリピンの場合は敵の「占領地」――戦場での出来事でした。慰安婦の中になぜ「オランダ」の人がいるのか、不思議に思った人もいるでしょう。言うまでもなく、オランダは、インドネシアを植民地支配した「帝国」でした。朝鮮や満州に多くの日本人がでかけていったように、植民地のインドネシアにも多くのオランダ人がいたのです。そして、そこに入ってきた日本人によって、いわば征服の対象として、オランダの女性たちは「慰安婦」にされたのです。

 一方、韓国や台湾の「慰安婦」は、植民地の女性でした。すでに書いたように、構造的には「同志」的な関係でもあって、朝鮮人「慰安婦」は被害者でありながらオランダやフィリピンの「慰安婦」たちとはそのポジションが根本的に違っています。同族でさえも、「慰安婦」たちの経験は、場所と時間によって様々です。

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筆者

朴裕河

朴裕河(パク・ユハ) 世宗大学校日本文学科教授

1957年、ソウル生まれ。世宗大学校教授。慶應義塾大学文学部卒業後、早稲田大学大学院で日本近代文学を専攻(博士)。著書に『和解のために――教科書・慰安婦・靖国・独島』(佐藤久訳、平凡社ライブラリー、2007年度大佛次郎論壇賞受賞)、『ナショナル・アイデンティティとジェンダー――漱石・文学・近代』(クレイン)、『反日ナショナリズムを超えて――韓国人の反日感情を読み解く』(安宇植訳、河出書房新社)など。編著に『東アジア歴史認識論争のメタヒストリー――「韓日、連帯21」の試み』(青弓社)。