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元気と魅力の発信は大切、でもそれだけでなく~ベルリンで考えた、震災一年後の広報文化外交~

川村陶子 川村陶子(成蹊大学文学部准教授)

 東日本大震災の第一報をミュンヘンで受けてから一年、今年も3月11日を出張先のベルリンで迎えた。フクシマを契機に脱原発へ舵を切ったドイツでは、日本への関心は今どうなっているか。ドイツ人と日本人をつなぐため、公的文化交流の場でどのようなことが行われているか。気になって、いくつかの催しを訪ねてみた。大規模な催しでは日本人の強さや文化の魅力を発信する趣旨が強かった一方、悲しみや不安を遠方の地に伝え、日独の人間的な絆をつくろうとする企画もあった。

 西ベルリンのツォー駅近くの写真美術館では、「戦後日本の変容」と題した展覧会が3月9日から開催されている。1945年から1964年までの都会と地方の風景や、そこで生きる人々の姿を、11名の日本人写真家がとらえた123点の作品で構成する本格的な展覧会だ。

 筆者が訪ねた開催初日には、企画のベースになった写真集の編集者が講演会を行った。金曜の午後という時間設定からか、聴衆は学生風の若いドイツ人たちが中心で、メモをとりながら熱心に聞き入っていた。焼け野原の東京に帰還した兵隊や、闇市で買い出しする母親、デパートで最新ファッションに見入る女性たち、高度成長期の街でひたすらに働く人々といったイメージは、戦後ドイツ、とくに西ドイツの発展と重なる部分も多い。

 同時に、東北の農村で泥に浸かって田植えをする女性の姿や、長崎の被爆者のポートレートなど、日本独特のイメージも取り上げられていた。「3・11」と直接関連する内容ではないが、荒廃から立ち直る日本人の力強さや、「核」の被害が人に与える傷の深さなど、震災後の日本について考える手がかりが多く含まれていたと思う。

 3月11日にベルリンで最も注目された日本関連文化事業は、フィルハーモニー大ホールで行われた早稲田大学交響楽団の演奏会だろう。前半はリヒャルト・シュトラウスの交響曲、後半は由谷一幾「和太鼓と管弦楽のための協奏曲」という構成で、現役学生たちの熱のこもったレベルの高い演奏に、ブラボーの声がやまなかった。

 場内は日本人の姿も目立ったが、大半は地元のドイツ人と思われる観客たちで、ステージ後方の大太鼓そばに設けられた客席では、身を乗り出して聞き入る姿も見受けられた。アンコールでは震災の被災者を追悼する「荒城の月」が演奏され、総立ちで暖かい拍手が送られた。二階正面中央席では、ヴァイツゼッカー元大統領も杖をついて起立されていた。

 最後はベルリン子ならうずうずせずにいられない行進曲「ベルリンの風」と、元気いっぱいの「八木節」。これからの日本を背負う若い人たちがひたむきに音楽と向き合い、ひとつのハーモニーを生み出す姿は、耳の肥えたベルリンの観客たちに深い印象を残していた。このコンサートは、前述の写真展とともに、国際交流基金が支援する事業である。

 同日午後、フィルハーモニーホールからUバーンで30分ほど離れた郊外にあるベルリン日独センター(日独政府が共同出資する財団)で、震災復興祈念の集いが開かれた。約300席を収容するホールには被災地の小学生が描いた絵が壁いっぱいに掲げられ、ドイツ各地から集まった義援金が、同センターや日系市民の組織する復興支援活動においてどのように使われたかが紹介された。

 ドイツ時間の2時46分には、立錐の余地なく埋まったホールで、皆が一斉に黙祷。その後、各支援団体の活動報告会、バザーや手作りカフェが催された。会場を飾ったのは、被災地を含む日本全国のアーティストたち200名以上が、昨年の4月から5月にかけてハンブルク在住の日本人作家に送った絵手紙である。小さなはがきにショックや悲しみ、怒り、行き場のない気持ちがさまざまな形で表現され、「ごめんなさい。ありがとう。」「被災地からは離れているけど、何か自分にできることをしたい」「皆に感謝して、強く生きたいと思います」といったメッセージが、日本語やドイツ語、英語で書き込まれている。原発や核の廃絶を願う内容のものもあった。

 集会来場者の半分以上は、外見的に日本人とは異なる人たちで、一枚一枚の作品にゆっくりと見入っていた。福島在住のアーティストの一人が会場に招かれ、被災者の一人として自身の体験を報告していた。

 今回筆者が訪れた催しはドイツで日系公的組織が行った文化事業のごく一部にすぎないが、いずれもドイツと日本の人びとをつなぐ力のこもったイベントであった。とりわけフィルハーモニーでのコンサートは、日本の元気や魅力がいっぱいに発信されており、インターネットで全世界から視聴できるという意味でも、強い波及力をもっていたと思う。

 だが、筆者は、むしろ日独センターの絵手紙プロジェクトのような、日本人の抱える不安や悲しみ、原発に依存する自分たちの社会に向き合おうとする姿勢を伝える文化事業が、もっと必要なのではないかと考える。ドイツの人たち、とくに知的集団や、日本を直接知らない一般の人たちが、いま一番知りたいのは、「あれから1年、日本は一体どうなってしまったのか。日本人は何を考えているのか。」ということだと思われるからだ。

 震災一周年を前に、ドイツのメディアは、震災復興も原発事故の収拾もいっこうに進まない被災地の現状を、独自の現地取材に基づいてこぞってレポートした。テレビドキュメンタリーなど、被災者の方々の日常の後ろにある深い悲しみへの視線と、「なぜこのような状況が放置されているのか」という強い批判がこめられている。そして「3・11」が近づくにつれ、「フクシマから日本と世界は何を学んだのか」という疑問を、地方メディアも含め一斉に提起した。

 メルケル政権は昨年、福島の事故を受けて脱原発を早々に決定したが、実は ・・・ログインして読む
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筆者

川村陶子

川村陶子(かわむら・ようこ) 川村陶子(成蹊大学文学部准教授)

成蹊大学文学部准教授。1998年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学(国際関係論)。国際関係における文化・文化交流に関心を持ち、対外文化政策や国際交流活動、〈ひと〉の視点でみた国際関係をテーマに研究教育活動を行っている。共著に『日本の国際政治学』(有斐閣、2009年)など。

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