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中国重慶市書記解任――闘争の終わりか、始まりか

藤原秀人 フリージャーナリスト

 中国共産党の重慶市委員会トップだった薄熙来書記(62)が3月15日、解任された。党政治局員でもある薄氏はこの秋に開かれる第18回党大会で、最高指導部を構成する政治局常務委員に昇進すると見られていた。14日まで北京で開かれていた全国人民代表大会(全人代)にも出席し、自信満々に笑みを振りまいていた薄氏の突然の解任は、映画よりも劇的だ。人事を決める党大会に向けて水面下で繰り広げられてきた権力闘争は、薄氏解任で結末を迎えたのか、それともこれから本格化するのか。

 重慶市党委書記を兼任することになった張徳江・副首相(65)は15日に重慶市で開いた幹部会議で、解任を決めた党中央の決定を「完全に支持する」と述べた。党中央の決定は解任の理由を明らかにしていなかったが、会議に出席した党中央の人事責任者である李源潮組織部長(61)は次のように語った。

拡大全国政治協商会議で、会場に手を振っていた薄熙来・重慶市共産党委員会書記=2012年3月3日、北京

 「王立軍が成都の米国総領事館にひそかに駆け込んだ事件の性質は深刻で、極めて悪い影響をもたらした。重慶市の指導者の調整は、事件の深刻な政治的影響をかんがみたものだ」

 王立軍事件に触れる前に、薄氏の最近の活動を紹介した方が、中国政治の構造がわかりやすいだろう。

 薄氏は副首相を務め2007年に死去した薄一波氏の次男。薄一波氏は故鄧小平氏らとともに「八長老」の一人に数えられ、保守派として知られた。そんな父を持つ薄氏は、いわゆる「太子党」の一人である。

 北京大学を出た薄氏は長らく遼寧省内で勤務した後、2004年に商務相に就任し、2007年に重慶市書記に転じた。巨大な貿易港を持つ大連市や商務省での経験から外国の経済人に知己が多く、186センチの長身でハンサムな薄氏は中国の新しいタイプの指導者になると見られていた。

 それが重慶に異動してから、左派の権化のようになった。

 薄氏は「紅歌を歌おう」キャンペーンを始めた。紅歌とは ・・・ログインして読む
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筆者

藤原秀人

藤原秀人(ふじわら・ひでひと) フリージャーナリスト

1980年、朝日新聞社入社。外報部員、香港特派員、北京特派員、論説委員などを経て、2004年から2008年まで中国総局長。その後、中国・アジア担当の編集委員、新潟総局長などを経て、2019年8月退社。2000年から1年間、ハーバード大学国際問題研究所客員研究員。

1980年、朝日新聞社入社。外報部員、香港特派員、北京特派員、論説委員などを経て、2004年から2008年まで中国総局長。その後、中国・アジア担当の編集委員、新潟総局長を経て、2014年9月より国際報道部。2000年から1年間、ハーバード大学国際問題研究所客員研究員。

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