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海上自衛隊幹部候補生学校の卒業式に見た「海軍の歴史と伝統」

小沢秀行

 春分の日の3月20日、私は広島湾に浮かぶ江田島で開かれた海上自衛隊幹部候補生学校の卒業式に参列する機会を得ました。

 そこでは、大日本帝国海軍の将校養成機関だった海軍兵学校以来の伝統が脈々と受け継がれるとともに、過酷な訓練に耐えて人間的にも大きく成長したに違いない若者たちの誇らしさ、晴れがましさに強い印象を受けました。

 リチャード・ギアを一躍人気スターにしたアメリカ映画『愛と青春の旅だち』のラストシーンを思い起こしたものです。

 これから書くことは「論」ではありません。私の個人的な見聞記に、若干の感懐を加えたものです。珍しい体験を記録に残し、興味のある皆様にお伝えできればと思います。

 江田島市は人口約2万7000人。対岸の呉市からフェリーだと約20分、音戸・早瀬のふたつの大橋を使って島づたいに陸路を行くと約1時間かかります。東京・築地にあった海軍兵学校がここに移ったのは1888(明治21)年。それ以来、海軍・海上自衛隊を通じ、幹部を育てる「ゆりかごの地」となってきました。

 今年の卒業生は、防衛大学校や一般の大学・大学院を卒業した人を対象にした一般幹部候補生課程が197名(うち女性22名)、すでに現場でパイロットとしての任務に従事した経験のある飛行幹部候補生課程が58名(うち女性3名)の計255名。一般幹部候補生の中には、タイ海軍から受け入れた少尉1名も含まれます。

拡大卒業式が行われた講堂=撮影・筆者(ほかも)

 教育期間は一般幹部候補生課程が約1年、飛行幹部候補生課程が約半年。各種訓練の他、日本三景のひとつ、安芸の宮島(厳島)の最高峰弥山(みせん、535メートル)への登山競技や、8マイル約8時間の遠泳などもあるそうです。

 卒業式は御影石でできた風格ある白亜の大講堂で、午前10時から1時間半。中央のパイプ椅子に卒業生が座り、それを取り囲むように父兄や来賓が陣取ります。2階席には、音楽隊の他、父兄らの姿も見えます。おそらく暖房はなく、式の終わり際には、相当からだが冷えました。

 式次第は以下の通りです。

1、開式の辞

2、国歌斉唱

3、卒業証書授与

4、優等賞状授与

5、チリ共和国海軍勲章伝達

6、幹部自衛官任命

7、宣誓

8、校長式辞

9、防衛副大臣訓示

10、海幕長訓示

11、来賓祝辞

12、閉式の辞

 卒業証書は校長から、255名の卒業生全員に一人一人手渡しされます。

 優等賞状は防大卒の1課程から4名、一般大学卒の2課程から5名、飛行幹部候補生課程から4名。戦前は恩賜の短剣をいただいたそうですが、今は賞状だけです。

 ここでユニークなのは、演台で賞状を受け取った後の舞台からの降り方です。校長におしりを見せるのは失礼との趣旨から、首を横にして後方をうかがいながら、後ずさりで降壇するのです。見ている方は、足を踏み外しやしないかとはらはらですが、全員無事に済みました。事前に、相当練習をするそうです。

 チリ海軍と海上自衛隊の縁は初めて知りました。明治時代、チリから購入した軍艦2隻が、日清・日露両戦争で活躍して以来の深い友好関係にあるそうです。毎年、駐日大使が卒業式に参列し、最優秀卒業生1名に手ずから勲章を授与しています。

 この後、卒業生は学歴に応じて、大卒は3等海尉、大学院卒は2等海尉に任命されます。

 この瞬間から、彼らは「幹部候補生」ではなく「幹部」になります。それまで、式では「起立」「敬礼」「直れ」「着席」と号令がかかっていましたが、この後は号令なし、すべてあうんの呼吸で動作が行われます。これは、「士官は下士官以下に命令を下す立場であり、命令される立場ではない」という考え方に基づくもので、海上自衛隊独特の伝統だといいます。

 宣誓は卒業生代表が、「日本国憲法及び法令を遵守し」「事に臨んでは危険を顧みず」「身をもって国民の負託に応え」「幹部自衛官としての重責を自覚し」「率先垂範職務の遂行」にあたることを誓いました。

 坂田竜三校長の式辞と杉本正彦海幕長の訓示はそれぞれ2点、極めて簡潔明瞭なものでした。

 校長は(1)幹部自衛官として己を磨け(2)真心を尽くせ、海幕長は(1)幹部自衛官としての誇りと使命感を堅持せよ(2)挑戦者の気概を持て。

 海幕長が特にタイの少尉に呼びかけ、そこだけやや言葉使いを柔らかくして、言葉と文化の相違を克服した努力をたたえ、今後の活躍にエールを送った場面は、とりわけ印象に残りました。

 2日前の18日に神奈川県横須賀市の防衛大学校で行われた卒業式には野田佳彦総理が出席しましたが、ここの卒業式には総理も防衛相も来ず、政務3役からは渡辺周副大臣が参列しました。訓示の中では、北朝鮮のミサイル発射に備えて沖縄本島や先島諸島の石垣島に迎撃ミサイルのPAC3(地対空誘導弾パトリオット3)の配備を検討することを表明。あいさつの最後を「日本の将来は皆さんにかかっている。皆さん、日本を頼みます」と他人事のように締めくくったのには、思わず失笑してしまいました。

 来賓の祝辞は同盟国アメリカの在日海軍の代表と地元の江田島市長。時間に正確な組織らしく、式は予定通り午前11時半ほぼぴったりに終了しました。

 以上が、式の模様ですが、海軍兵学校以来の「歴史と伝統」をより色濃く残しているのが、この後のプログラムです。

拡大卒業式後の午餐会

 まずは、同じ江田島地区に併設されている第1術科学校の食堂に舞台を移しての午餐会です。

 会場には紅白の幕がひかれ、正面には日の丸と旭日旗。厳粛な卒業式とは一変、ややくだけた雰囲気の中、幹部自衛官の制服に着替えた卒業生とその父兄、海上自衛隊の幹部や来賓が一同に会して、「祝 御卒業」と書かれた紅白の紙に包まれたハコ弁当の赤飯をつつきます。会場には、子弟を「公」に捧げた家族間の目に見えない連帯、共感が漂っているように感じました。

 卒業生たちはこの後、学校の正門とされる表桟橋(陸上にある門は、あくまで裏門なのだという)から長期の練習航海に旅立ちます。

 一般幹部候補生課程の卒業生は日本国内を巡った後、東南アジアからインド洋、地中海まで14カ国に寄港する約150日間、飛行幹部候補生課程の卒業生は日本国内から東シナ海まで2カ国に寄港する約40日間の行程です。父兄との語らいもほんの一時です。午餐会は約1時間、練習艦隊の指揮官の紹介や祝電披露、花束贈呈の後、万歳三唱で締めくくられました。

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筆者

小沢秀行

小沢秀行(おざわ・ひでゆき) 

1963年、埼玉県生まれ。金沢大学法学部卒。1987年、朝日新聞社に入社。初任地は熊本支局。西部本社(北九州市)、東京本社で長く紙面編集部門に勤務した後、1995年に政治部に。村山首相の総理番を振り出しに、首相官邸、外務省、連合、自民党などの担当を歴任。首相官邸サブキャップ、自民党キャップを経て、安倍内閣末期から福田内閣、麻生内閣、鳩山内閣発足まで、首相官邸担当デスク。この間、2年間、大阪社会部デスクも。政権交代直後の2009年10月から論説委員。2012年4月より、朝日新聞編集センター長代理。

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