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[9]支援者たちは「慰安婦」問題をどう理解していたか

朴裕河 世宗大学校日本文学科教授

 「慰安婦」問題に否定的な考えの問題点を見てきましたが、「慰安婦」問題が20年もの間解決されないのを、単に「慰安婦」の否定者たちや日本政府のせいだけにすることはできません。

 この20年間、「慰安婦」たちの裁判やデモを含む支援者たちの闘いは、献身的なものであり、その成果もめざましいものでした。

 しかし、そこには根本的な問題点もありました。今後日本政府が韓国政府との「協議」に応じ、なんらかの措置に出ようとした場合、「慰安婦」や支援者たちとの間には「謝罪と補償」の形をめぐる話し合いや「合意」が必要となってきます。

 そこでもふたたび、これまでの対立と混乱が繰り返されるとしたら、おそらく永遠に、「慰安婦」問題は解決できずに終わってしまうでしょう。そして、韓国の教科書には、「日本はついに謝罪をしなかった」と記録され、次の世代にまで教育され、解放後70年も続いて来た日韓の葛藤を修復する機会は消えてしまうはずです。

 そのような不幸な事態を避けるべく、ここではこれまでの20年の「運動」のあり方について考えてみることにします。

(1)「被害者」理解

 支援者たちは、「慰安婦」を「性奴隷」と規定してきました。確かに、これまで見てきたように(連載(3)「朝鮮人「慰安婦」とは誰か」)自分の意志を通すことができなかったという点で「慰安婦」たちは奴隷だったといえます。「自由意志」であるかのように見えても決してそうではなかったことも、すでに見てきたとおりです。

拡大元「慰安婦」の遺影を掲げ、黙祷する集会の参加者=2011年12月14日、福岡市天神

 しかし、「慰安婦」の「自由」を拘束した主体を「軍」に限定するのは必ずしも正確ではありません。つまり、彼女たちを人身売買などの手段で集めてきた業者たちもまた、彼女たちの自由を拘束したもうひとつの主体だからです。主体がはっきりしない形で語られ、「軍人」の仕業としてのみ語られる慰安所内の「暴力」の主体が、実は業者だったことも数々の証言から浮かび上がります。

 何よりも、「慰安婦」たちを、自由を持っていない意味での「奴隷」と規定する時、彼女たちの「主人」はまずは「業者」であるはずです(もっとも、その業者が「主人」としての役割を充分に果たせなかったことは先に見たとおりです)。

 たとえば遊郭で働かせられていた女郎たちは、誰かに身請けされないかぎり、そこを出ることはできませんでした。その彼女たちを、性を提供する「奴隷」と呼ぶことは可能ですが、その時の「奴隷」性は、お金を支払って彼女たちを買う男性ではなく、その主人―女衒との関係で言える言葉のはずです。つまり、性の売買において、数百名を相手にしなければならなかった過酷な状況において、性の買い手を非難することは可能でも、売り手―彼女たちを労働させて儲けていた意味での「主人」の存在を忘却・隠蔽するべきではありません。

 多くの「慰安婦」たちの証言は、「日本」を批判し、時折自分を売った親などを怨みますが、自分たちを連れて行き、管理した存在―「業者」(日本人もいたようです)については多くを語りません。その結果とも言えますが、「慰安婦」が受けてきた凄惨な状況を作ったのはすべて「日本軍」と認識されるようになりました。「性奴隷」という言葉は、その責任主体をより明確にしなかったという点で問題があったのです。

 しかし、これまで政府・国会決議を目指してきた支援者たちは、そのことを認識できなかったか、無視してきました。「性奴隷」との言葉は欧米や当該国に日本軍の残酷さをアピールするのには効果的でしたが、必ずしもフェアな闘いだったとは言えません。なぜなら欧米諸国は、「人身売買」の主体も「日本軍」であるかのように理解しているからです。

 さらに、日本人・朝鮮人・台湾人は、奴隷的ではあっても、基本的には軍人と「同志」的な関係を持っていました。つまり同じ「帝国日本」の女として、軍人を「慰安」することが彼女たちに与えられた公的な役割であって、そこでの性の提供は基本的に「愛国」の意味を持っていたのです。彼女たちに対する「日本国家」の罪は、むしろ、性の提供に空疎な意味付けをもたせて苛酷な状況に耐えさせたことにあります。

 すでに書いたように、中国やオランダなど、戦争相手の「敵国の女」と、本国・植民地・占領支配下の女性たちは立ち位置が違います。彼女たちが一方では「看護婦」でありえたのもそのためのことにほかなりません(朴裕河「「あいだ」に立つとはどういうことか――「慰安婦」問題をめぐる90年代の思想と運動を問い直す」『インパクション』171、2009、林博史「看護婦にされた慰安婦たち」アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集II 南・北・在日コリア編・下』明石書店、2010)。

 ある軍医は「私が「慰安婦」を初めて見たのは私が居留民の女性の衛生救急教育をしたときです。そのとき私は「朝鮮人でも包帯を巧く巻けるのか」とか「お前は日本人と天皇陛下を同じくして嬉しいんだろう」ぐらいに見くびっていました」と告白しています(http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/05/yuasa_ianhu.htm)。そのような場面がありえたのも、そのような構造の中でのことです。

 「慰安婦」が「看護婦」をかねていたことをもって、「「看護婦」とすることで、当局が慰安婦の存在を連合国側から隠ぺいしようとした可能性」(共同通信、2008.7.31)を読んだり、「正式に軍属にすることで慰安所の存在も隠し一緒に帰る便宜をはかるためのもの」とする解釈もありますが、軍医の証言をみるかぎり彼女たちは戦時中にすでに看護婦の補助業務をやっていたものと考えられます。

 しかし、「性奴隷」の言葉からは、「慰安婦」をめぐるそのような複雑な状況は見えてきません。「同志」的関係を見ることが「日本軍」の責任を免責することになるわけではないのに、です。表面上は「同志」の関係を装いながらも「朝鮮人でも包帯を巧く巻けるのか」と考える差別感情は存在していたのであり、そのような感情が彼女たちを「もの」として扱わせていたことは、既に見てきたとおりです。

 そのような隠れた差別感情を見るためにも、「慰安婦」という存在の多面性は、むしろ直視されるべきでした。そのことこそが、責任を負うべき責任主体の、被害者との関係性をより明確にできるからです。「同志」的関係を覚えている人々の反発に応えるためにも、また、彼らの内なる差別を指摘するためにも、そこにあった「同志的関係」は認められる必要があったのです。

 しかし、支援者側の運動家や研究者たちは、そのようなことに応えるのではなく、それとはまったく違う境遇―悲惨な立場の人々のケースを強調することに終始しました。それは、明確な「屈従」でありながら外見的には「自発的な協力」の形を強いられた「植民地」の複雑な構造を無視するものでした。

 しかし、韓国や台湾など元植民地の「慰安婦」問題の解決がひときわ難しかった理由もそのあたりの状況から探ることができるはずです。何よりも、一見「ノイズ」に見えるそのような事柄を排除したことは、「同志」的側面のみにこだわろうとした人々の反発を招き、いまだ対立するままの状況を作りました。結果として、解決を早めるのではなく、かえって難しくする方向へと導く結果になったのです。

(2)「加害者」理解

 被害者―「慰安婦」についての理解が十分ではなかったように、加害者―「日本軍」や「日本国家」についての理解も万全だったとはいえません。 ・・・ログインして読む
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筆者

朴裕河

朴裕河(パク・ユハ) 世宗大学校日本文学科教授

1957年、ソウル生まれ。世宗大学校教授。慶應義塾大学文学部卒業後、早稲田大学大学院で日本近代文学を専攻(博士)。著書に『和解のために――教科書・慰安婦・靖国・独島』(佐藤久訳、平凡社ライブラリー、2007年度大佛次郎論壇賞受賞)、『ナショナル・アイデンティティとジェンダー――漱石・文学・近代』(クレイン)、『反日ナショナリズムを超えて――韓国人の反日感情を読み解く』(安宇植訳、河出書房新社)など。編著に『東アジア歴史認識論争のメタヒストリー――「韓日、連帯21」の試み』(青弓社)。