2012年04月26日
実際、石原の思惑通りと評すべきであろうか、「尖閣買収発言」は、様々な反響を呼んでいる。たとえば、野田佳彦(内閣総理大臣)は、衆議院予算委員会質疑の席で、「尖閣がわが国固有の領土であることは国際法上も歴史的に見ても明々白々だ。所有者の真意も確認する中で、あらゆる検討をしたい」と語っている。
石原も、本来は尖閣諸島が適正な国家管理の下に置かれるのが望ましいと語っている。「尖閣買収発言」は、確かに日本政府の尻を叩く程の効果を示したのであろう。
ただし、留意すべきは、こうした諸々の反応の中でも、「尖閣買収発言」を「対中関係への配慮」の観点から批判する向きは、決して勢いが強くないということである。「尖閣買収発言」には、「東京都が買収するのは筋が違う」とか「そもそも東京都予算を尖閣買収に寄せていいのか」とかといった批判が主に寄せられているけれども、対中関係への配慮を軸とした批判は、『朝日新聞』や『毎日新聞』の社説を除けば、誠に弱い声でしかない。
無論、中国政府は、「尖閣買収発言」に定例通りの反発を示している。しかし、そうした反発を切実なものとして受け止める空気は、明らかに後退している。特に二〇一〇年の尖閣諸島沖漁船衝突事故の経緯は、中国の対外姿勢における「横暴」と「驕慢」の様相を世に印象付けた。
これに加えて、中国がヴェトナム、フィリピン、インドネシアといった国々との間に生じさせた軋轢は、既に広く知られるようになっている。もはや、日中関係の「過去の経緯」は、日本にとっては、多分に挑発的、膨張的な現下の中国の対外姿勢を容認し、黙過する材料とはならない。「尖閣買収発言」に対する反応が暴露しているのは、中国に対する視線やそれを取り巻く空気の変化である。
ところで、尖閣諸島にせよ竹島にせよ、昨今の領土に絡む「紛糾」の意味を考える際、想起されるのは、
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