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東京・関西・サブ中枢機能……分権的社会構築が必要だ

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 日本が災害の多い国であることは論を待たない。だが、日本人はそれを踏まえ、自然の脅威や災害からの経験を活かして、豊かで恵まれた社会を築いてきた。

 江戸時代を考えてみれば、それは明確に分かる。300を数える諸藩(今でいえば国々)があり、政治の中心は江戸、経済の中心は大阪にあり、国の統治の象徴である天皇は京都にいた。要は、日本という国全体が分散化されていたのだ。江戸時代は、封建的だというイメージがあるが、やや極点ないい方をすれば、実は災害などのリスクを分散できる社会構造になっていたといえる。

 ところが、江戸時代が崩壊し、明治維新が起きる。日本は、列強に追いつくために、中央集権による効率的な近代化に突き進んだ。その結果、日本は驚異的なスピードで近代化し、国力の増強に成功する。しかし、その結果が、軍国主義化による海外侵略と敗戦だった。

 日本は今一度、社会の再構築を強いられた。そこで日本が選択したのは、戦前からの中央集権的な手法による、社会の立て直しであり、経済の成長であった。その戦略は、ある意味、日本に大きな成功をもたらした。

 このように日本の明治以降の近代化と復興は、中央集権的に行われた。そしてそれは、問題がありながらも、全体としては日本に成功をもたらしてきたのも事実だ。だが、その過程で失ったのは、リスクを分散できる多様性と多元性だ。

 昨年の3・11の東日本大震災で起きた福島第一原発の事故もまさに、その失ってきたものの果てに起きた。震災自体も、中央集権国家の危険性を改めて認識させたが、本記事では、フクシマの問題だけに焦点を絞りたい。

 同事故は、原子力ムラ(注1)といわれる、多元的で多様な意見を封殺する環境が生み出したといえる。より直接的な事故原因は、地震や津波による全電源喪失だが、それは、起こりうる様々な問題や想定を封印してきたことに起因する。

 これらは、原発だけにとどまらず、実は日本の近代化において起きてきた様々な事象や問題とも繋がるのだ(注2)。別のいい方をすれば、原発の問題は、多様性を育まず、リスクを分散できない日本社会の問題あるいは病理の象徴でもあるのだ。

 さらに、同原発事故は、多元性に関してもう一つの問題を提起する。それは、もし最も危機的状況にあった3月14、15日ごろに、行きつくところまで行っていたら、東京はさらに高い放射能に汚染され、私たちはもはや住むことができなくなっていただろうということだ。それは、東京の首都機能が完全に失われ、東京中心の政治や経済が壊滅し、日本は国家そして社会としての機能を完全に喪失していたことを意味する。

 このように考えていくと、フクシマ問題はまさに日本のやり方、近代化の手法に大きな問題提起をしているといえる。

 4月19日の朝日新聞は、一面トップに「首都直下地震 死者9700人」という記事を掲載し、東京都が地震被害想定の見直しを発表したことを報道した。その記事の≪解説≫では、「関東大震災以来、東京は島部を除き90年近く震度6以上の揺れに見舞われていない。その幸運な期間に経済成長を遂げ、一極集中が進み、被災した時の影響が極めて大きくなった。東京都が今回見直した被害想定は、従来に比べ死者数が約1.5倍に膨らんだ。あらためて課題も浮上し、首都圏全体が対策を迫られることになった……首都の防災は、膨大になった人々の命や財産の被害を減らすことに加え、政治、行政、経済という首都機能を守るという重要な側面がある。東京が受ける被害は日本全国、さらには世界にも波及するからだ」と指摘している。

 このような想定の見直しがあり、その記事が一面トップを飾ったのは、東日本大震災やそれに伴う原発事故があったからだろう。

 これら様々なことを考えると、今後の日本は、従来の中央集権から、より分散型にして(注3)、万が一のことが起きた時にも、日本社会がそのロス(喪失、損失)をカバーしバックアップできる仕組み、特に政府などの中枢機能の分散あるいはバッファー機能を有しておくようにしておくべきだろう。

 日本でも、分散型の国土開発などの見地から、首都機能(一部)や中枢機能の移転(注4)に関して何度も議論されてきたが、その実現には至っておらず、最近はその議論も下火になってきていた(注5)。

 しかし、今回のフクシマ事故は、今一度その必要性を私たちに想起している。その事故は悲劇的だったが、逆に日本の将来を考えて、この事故をテコに、この必要性の問題を早急に議論し、実現を図るべきだ。

 そのような中枢機能の分散やバッファー機能を考えた場合、日本は地震などの災害が多い国であり、国土も広いとは必ずしもいえないが、幸いにも南北に長い。そして、それは、ある意味、一つの地震災害だけでは、日本全体がダメになる可能性が低いことを意味する。

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筆者

鈴木崇弘

鈴木崇弘(すずき・たかひろ) 城西国際大学客員教授(政治学)

城西国際大学大学院国際アドミニストレーション研究科客員教授。1954年生まれ。東京大学法学部卒。マラヤ大学、イースト・ウエスト・センターやハワイ大学大学院等に留学。東京財団の設立に関わり、同財団研究事業部長、大阪大学特任教授、自民党の政策研究機関「シンクタンク2005・日本」の設立に関わり、同機関理事・事務局長などを経て現職。中央大学大学院公共政策研究科客員教授。著書に『日本に「民主主義」を起業する――自伝的シンクタンク論』『シチズン・リテラシー』『僕らの社会のつくり方――10代から見る憲法』など。

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