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 これまでに書いてきたいくつかの拙記事と矛盾しているように思えるかもしれないが、あえて述べてみたい。

 日本では従来、政治や行政が、社会的に予想される問題や課題を予想し、先回りして、問題が起きないようにしたり、国民や住民に不利益をもたらさないようにしてきた。そのため行政による事前チェックが強化され、行政に優越感を生み、国民・住民の行政への依存性を高めてきた。

 このような姿勢や考え方を、パターナリズム(paternalism、日本語では、父権主義、家長主義、温情主義などと呼ぶ)という。それは、強い立場にある者(ここでは、国家や政府)などが、弱い立場にいる者(ここでは、住民や国民)に問題がないようにしたり、彼らの利益になったり保護したりするために(あるいはそのような大義のもとに)、弱い立場の人の意志に関わりなく、本人に代わって意志決定し、行動に介入したり、干渉したり、あるいは自由や権利を制限することなどを意味する。日本でのパターナリズムは、歴史的には、天皇制(特に近代における)における天皇と臣民との関係性の延長から育まれてきた面もあろう。

 そして、このようなパターナリズムが、政治の迎合主義や国民の低い市民力とも相まって、財政の悪化や現在の政治や行政の問題、混乱を生んできたともいえる。

 日本の財政は国際的にみても最悪の状態にあり、その解消のための増税論議もあるが、今後も容易に解決しない。また海外の政治や行政の問題解決の状況をみても、政治や行政がすべての問題を改善したり、解決することはほぼ不可能であることは明らかだ。

 特にその国や地域の国民が、自分たちの損得だけを考え、勝手に振る舞う場合(ギリシャをはじめ多くの国や地域でもその状況は散見する)、政治も経済も社会も混迷している。つまり、国民の自覚がない社会は、豊かにも改善にも向かわない。そのことは、多くの社会主義国や衆愚的民主主義の国の失敗例からも自明だ。

 では、どうすればいいのか?

 ここでまず、アメリカ合衆国建国の父の一人で、独立宣言の起草における最も重要な人物である、トーマス・ジェファーソンをとりあげたい。

 同氏は、公教育と市民教育の必要性を説いた。彼の偉大さは「社会の究極の力の安全な受託者は人々そのものであると言った」ことである(注1)。そして、「もし、為政者(統治を委託された者)が、委託した者(人々)が自由裁量で行う統制自治ができるほどの十分な能力をもっていないと考えたときに、それを阻むことではなく、まさに逆に人々にその統制の自由裁量を積極的に与えていかねばならない」(注1)と考えたのだ。

 それは具体的には、「すべての市民が最も身近で興味のもてる自分の地域の自治の仕事に関わり、自治体の現役メンバーとなることが、国の独立ということと、憲法への強い関心を持たせることになり、その強い関心をもつ人間が多々存在することが、国の力だと考えた」のだ。

 これは、ある意味、先述したパターナリズムの立場とは全く異なるものだ。

 このようなアメリカ的な考え方が鮮明に表れたプログラムがある。それは、 ・・・ログインして読む
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筆者

鈴木崇弘

鈴木崇弘(すずき・たかひろ) 城西国際大学客員教授(政治学)

城西国際大学大学院国際アドミニストレーション研究科客員教授。1954年生まれ。東京大学法学部卒。マラヤ大学、イースト・ウエスト・センターやハワイ大学大学院等に留学。東京財団の設立に関わり、同財団研究事業部長、大阪大学特任教授、自民党の政策研究機関「シンクタンク2005・日本」の設立に関わり、同機関理事・事務局長などを経て現職。中央大学大学院公共政策研究科客員教授。著書に『日本に「民主主義」を起業する――自伝的シンクタンク論』『シチズン・リテラシー』『僕らの社会のつくり方――10代から見る憲法』など。

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