櫻田淳
2012年06月15日
少しでも安全保障研究に関心を抱いた人々ならば、安全保障政策領域における森本の見識に疑問符を付ける向きは、皆無であろう。一九八〇年代後半、日本の大学で「安全保障」が真っ正面から講じられていたのは、防衛大学校を除けば、北海道大学が唯一であった。その後、「冷戦の終結」以降、日本が自衛隊を海外に派遣するのを要請される国際環境の変化の中で、安全保障研究の機運は高まった。
昔日、軍事や安全保障に絡む議論は、「平和主義」や「民族主義」に絡む左右両翼の政治的なバイアスが過剰にかかったものであるか、オタク的な趣味の反映であるか、あるいは旧軍・自衛隊関係者が「自分の経験」に依って語られるものであるかの何れかであることが多かった。森本は、そうした旧弊を超えて、安全保障をアカデミックな議論の場裏に引き上げることに尽力した人士である。
ただし、森本の任用は、野田にとっては、窮余の一策なのであろう。防衛大臣職を任せるのに相応しい人材が民主党内では払底した故に、民間から森本に白羽の矢を立てざるを得なかったというのが、野田の事情であろう。森本も、一川、田中の二代の防衛大臣の下で進行した「安全保障政策の劣化」に歯止めを掛けるべく、義侠心を発揮したのであろう。
森本が防衛大臣として期待されていることの本質は、そうしたことにあるのであろう。 もっとも、森本の防衛大臣任用には、様々な反応が示されている。
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