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日中間の「黙契」とは?――尖閣は米国も入れて危機管理を

春名幹男

春名幹男 早稲田大学客員教授(米政治安保、インテリジェンス)

 尖閣諸島に関する日中間の対立は今後、30年以上前に交わされたとされる「暗黙の了解」をめぐる論議に発展しそうだ。

 1972年の日中国交正常化以来、尖閣諸島の領有権問題で日中関係がこれほど深刻化したことはなかった。それは周恩来、鄧小平という歴史的指導者の発言に負うところが大きい。2人が示した方針は一言で言えば、問題の「棚上げ論」であった。

 日本側はこれに合意したわけではないが、「現状維持」の基本的姿勢を維持してきた。「尖閣諸島は日本の領土」としながらも、新たな行動を起こすことを慎んできたのだ。宮本雄二前中国大使は7月7日付朝日新聞で、これを日中間の「暗黙の了解」と呼んでいる。

東京都が作成した尖閣諸島のPRポスター

 しかし1990年代から現状維持に対する挑戦が日中双方から起き始めた。日本の右翼団体が灯台を建てたが、日本政府は灯台を建てさせないよう動いた。中国人活動家7人が上陸したこともあったが、日本側は逮捕、直ちに強制送還と、大問題に発展させなかった。

 このころまでは暗黙の了解が機能していたと言えるだろう。

 しかし、2009年に発足したオバマ米政権がブッシュ前政権の政策を微妙に変更したことが問題を引き起こした。

 ブッシュ前政権は(1)日米安保条約は日本の施政権下にある地域を対象とする(2)尖閣諸島は日本の施政権下にある(3)従って、尖閣諸島は安保条約の対象である――としていた。だが、このうち(3)について、オバマ政権は聞かれたらそう答えるが、自ら言明することはしない、という政策に変更したのである。

 2010年8月16日、国務省報道官は事実上このことを確認。その3週間後に中国漁船が海上保安庁巡視船に体当たりする事件が起きた。米政策の変更を受けて、中国側が日本の対応を試した、と言える。

 ところが、

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