2012年07月20日
小沢氏は1980年代末から自民党内で頭角を現し、その後、今日に至るまで4半世紀にわたって日本政治のど真ん中で活動してきた。その間の言動には一貫している面もあれば、大きくぶれた面もある。従って、ある時期の言動だけで、あるいは直近の発言だけで小沢氏を評価すれば、常に本質を外す恐れがある。
私はかつて五百旗頭真元防衛大学校長、伊東元重東大教授と共に、小沢一郎氏に長時間のインタビューをおこない、それをまとめて1冊の本にした経験がある(『90年代の証言 小沢一郎』2006年、朝日新聞社)。同書での発言を中心に国家像、民主主義観、政策や政局などについて改めて分析してみる(小沢氏の発言について、特に出所を明記していない場合は、『90年代の証言 小沢一郎』からの引用とする)。
■田中、金丸、竹下氏は反面教師
小沢氏は急死した父、佐重喜氏の後を継いで1969年に27歳で衆院議員に初当選した。父親について小沢氏は「財界や官僚という既存の体制とは付き合っていなかった。そういう意味ではものすごいプロレタリアートだった」「おやじがエスタブリッシュメント層に反感を持っていましたから、僕もそれを引き継いでいました」と語る。
小沢氏は初当選の総選挙の選挙公報に「官僚政治打破」「政策決定を政治家の手に取り戻す」という公約を掲げていた。また、当選3回目となる1976年の総選挙の選挙公報では「政治献金の禁止と政治資金の国庫負担」「衆議院に比例代表を加味した小選挙区制の導入」を主張していた。
官僚主導ではなく政治主導による政策決定、あるいは小選挙区制の導入は、細川政権や民主党政権で実現した政策で、小沢氏が若いころから終始一貫した主張を貫いていることが分かる。
しかし、自らをアンチ・エスタブリッシュメントと位置付ける自己認識はピンとこない。小沢氏は初当選後、田中角栄元首相に寵愛され、40代で閣僚や自民党幹事長を務めるなど政界の出世街道を一直線で突っ走った。さらに小沢氏は竹下登元首相や金丸信元自民党副総裁とも縁戚関係になり、派閥内でも他の議員とは違う存在となっていった。そんな経歴を踏まえると、まさに政界のエリートそのものだった。
小沢氏が成長過程で師と仰いだ田中角栄、竹下登、金丸信氏の3人についての評価には面白いものがある。
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