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小沢新党が社会民主主義勢力を再生させるという「空想」

櫻田淳

櫻田淳 東洋学園大学教授

 小澤(小沢)一郎(「国民の生活が第一」代表)を中心とする新党は、世の冷淡な眼差しに曝されながら船出した。小澤新党における「反消費税増税」や「反原発」という政策志向は、消費税増税法案採決と関西電力大飯原発再稼働に踏み切った野田佳彦内閣への意趣返しという趣きが強い。

 小澤は、細川護熙内閣期に「国民福祉税」という名の間接税増税を画策した前歴があるし、エネルギー政策に関して特段の知見を披露してきたわけではない。小澤が野田佳彦(内閣総理大臣)や前原誠司(民主党政調会長)らの民主党現執行部の政策志向を批判すればするほど、「それならば、鳩山由紀夫内閣期、彼は民主党幹事長として何をしていたのか」という問いが向けられるのは、避けられまい。

 小澤新党に対する冷淡な眼差しは、そうした小澤の過去の行状が招き寄せた「不信」に重なっている。

 もっとも、筆者が小澤新党に期待することがあるとすれば、それは、小澤新党と社民党との合併であろう。小澤新党における「反消費税増税」や「反原発」という政策志向は、それだけならば社民党のものに誠に近い。

社民党の福島党首(右)のパーティーに出席した民主党の小沢一郎代表(当時)=2009年2月4日、東京都千代田区

 実際、小澤新党結成に多くの政党が冷淡な眼差しを向けた一方で、唯一、穏やかな反応を示していたのは、社民党であった。小澤には、細川護熙内閣期に社会党、鳩山由紀夫内閣期に社会党の後身たる社民党を自ら主導する「連立」の枠組に入れていた時節がある。小澤には、社民党との「三度目の結婚」に何の抵抗もないであろう。

 ただし、小澤が社民党との提携を再び考えるならば、その前段として、社民党における「憲法第九条原理主義」を徹底して骨抜きにしていくことは、当然のプロセスになる。

 そもそも、英国労働党、フランス社会党、ドイツSPD(社会民主党)に類する社会民主主義政治勢力が日本に根付かなかった所以は、その受け皿たるべき社会党が「憲法第九条原理主義」と呼ぶべき立場に執着し、永年に渉り安全保障政策上の「空想」の中に逼塞(ひっそく)していたことにある。

 冷戦期、「五五年体制」下の保革対立の実相は、安全保障政策に関する限りは、「実践」と「空想」の対立に他ならなかった。そのことは、西ドイツSPDが「西側同盟の一員」というコンラート・アデナウアー以来の路線を踏襲しながら政権の座についていったことを考え併せれば、誠に対照的であろう。

 こうした安全保障政策上の懸隔を早々に克服していれば、日本の社会民主主義政治勢力は今頃、小澤の「国民の生活が第一」の標語に待つまでもなく、雇用、医療その他の福祉といった国民生活に密着した領域の政策において、自由民主党を含む保守主義政治勢力に対峙することができたであろう。凡そ国民生活と無縁の「憲法第九条原理主義」への執着こそ、こうした可能性の芽を摘んだ要因なのである。

 ところで、リーマン・ショックや欧州債務危機の影響によって、先進諸国の経済が著しく傷付いた中では、それぞれの国々において人々は普段の生活に不安を抱くようになっている。五月以降、大統領選挙や国民議会選挙で社会党が政局の優位を奪回したフランスの事例が示すように、現下は、保守主義政治勢力よりは社会民主主義政治勢力のほうに「風」が吹いている局面かもしれない。

 日本には、そうした「風」を受けとめる実質的な政治勢力は存在していないのである。しかも、現行の選挙制度の下では、社民党が党勢を劇的に回復できるとは考えにくい。小澤は、民主党脱党以前、二〇〇九年八月の衆議院議員選挙に際しての「民主党政権公約」への回帰を唱えてきたけれども、その「政権公約」に掲げられた政策それ自体は、子ども手当や農家戸別補償制度がそうであるように、社会民主主義的な色合いが濃いものであった。

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