2012年07月30日
そのとき私がトルクメニスタンについて知っていたのはニヤゾフ大統領に対する個人崇拝が徹底され、首都には大統領の巨大な像が立っていることや、国民の基本的人権が著しく侵害され、その実態を伝える報道の自由なども存在していないことくらいだった。
以後、私にとってトルクメニスタンは気になる国であり続けたが、日本と直接の関係が少ないこと、北朝鮮のように国際社会で問題になるような行動をしていないこともあって、日本のメディアで報じられることがほとんどなく極端に情報の少ない国だった。
ところが先日、トルクメニスタンで臨時代理大使として勤務している堀口暢氏が一時帰国した際、幸運にもお話を伺う機会を得た。私にとって謎の国だったトルクメニスタンの統治システムや国家戦略の一端を知ることができたので、その一部を紹介したい。
その前に簡単にトルクメニスタンという国を紹介する。冷戦時代、この国は旧ソ連に属するひとつの共和国だったが、ソ連崩壊を受けて1990年10月に大統領選挙が実施され最高会議議長だったニヤゾフ氏が当選、翌91年に独立した。
ニヤゾフ氏の独裁ぶりには理解できないものが少なくなかった。2005年には首都アシガバート以外に所在する病院と図書館の閉鎖を命じたという。「ちゃんとした医師は首都に入る。病人は首都に行けばいい」「田舎の人間は字が読めない」などと説明したというのだ(朝日新聞2005年3月5日朝刊)。人材育成に重きを置かなかったツケは今も響いており、近代的病院を作って最新の医療機器を設置しても使いこなすことのできる医師が不足しているという。
そのニヤゾフ大統領は2006年に突然死去した。直後の大統領選挙で保健・医療工業相や副首相を務めたベルディムハメドフ氏が約90%の得票率で当選し、今にいたっている。
突然の為政者の交代だった。ニヤゾフ氏はかねて糖尿病や心臓病を患っていたとされるが死因ははっきりしない。後継者のベルディムハメドフ氏はさほど注目されていた人物ではない。ニヤゾフ氏の親族という説もあるそうだが、なぜ後継者に就任できたのかなど権力継承の経緯は闇に包まれた部分が多い。
そして、政権交代で民主化が進むのではないかと期待されたが、新大統領も前任者同様の独裁を続けている。
トルクメニスタンの政治のもうひとつの特徴は「永世中立」を宣言していることだ。これは1995年に国連総会で認められている。永世中立は国際政治の世界で特定の勢力に属さないという宣言を意味し、外国軍の駐留はもちろん、通過なども認めない。国連の承認によって国連加盟国はトルクメニスタンの中立を保障、承認することになる。他に永世中立を宣言した国としてはオーストリアやスイスがよく知られている。
トルクメニスタンが永世中立という国家戦略を選択した背景には埋蔵量世界第4位といわれている天然ガスの存在がある。以前はソ連経由で天然ガスを売っていたが十分な利益が得られなかった。旧宗主国であるロシアに依存し過ぎないように「脱ロシア」路線を打ち出すとともに、欧米各国やアジア諸国などとも外交関係を発展させることで、独自ルートで天然ガスを売って国づくりを進めようという小国ならではの巧みな生き残り戦略があるようだ。
同じ個人崇拝の独裁国家ではあっても、「豊かな独裁国家」であるトルクメニスタンは、「貧しい独裁国家」の北朝鮮とはかなり様子が違うようである。では権力中枢はどうなっているのか、ほとんど報じられることのない世界を堀口臨時大使に聞いてみた。
堀口氏によるとトルクメニスタンの権力中枢の構造は以下の通りだ。
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