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脱原発の意識を代替案にどうつなげるか

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 3・11の東日本大震災と福島原発事故によって、2011年の3月、4月は、日本全体が重い雰囲気に包まれていた。日本で最も華やかな東京・銀座4丁目の交差点付近も、自粛ムードや電力問題もあり、人通りがまばらで、電灯などが消され、暗かった。地下街も、同様にほとんど人がおらず、非常に暗く、怖いぐらいの雰囲気だった。

 このような雰囲気は、震災や原発事故で日本全体が暗かったことの象徴でもあったが、それまで様々な試みがなされながらも変われなかった日本がついに変わるかもしれない、変わらなければならない、という意識を日本全体が持ったと思う。

 それは、被災者やご家族を喪失された方々の困苦には失礼かもしれないが、新しい日本を創りだせるかもしれないという期待を生んでいなくもなかったと思う。

 だが、5月のゴールデンウイーク頃を境目に、震災などに対する問題意識や閉塞感は急速に一変していく。それは、異常事態から平常状態に戻るという意味においてはよかったが、同時に、日本全体が変わらねばこの国難は乗り越えられないという意識も急速に失われていった。

 他方、多くの国民が少なくともある程度は有していた政治への信頼感はさらに低下していった。さらに、その後の政治の混迷によって、信頼回復や安全性の確保が不十分であるにもかかわらず(注1)、政権や電力会社によって原発が再稼働された。多くの国民は、これに対して大きな反発を示している(注2)。

 それは、毎週金曜日に首相官邸周辺で行われる原発再稼働反対行動や、17万人を集めたといわれる代々木公園での反原発・反再稼働デモ、反原発を訴える日比谷・国会周辺での抗議行動、さよなら原発1000万人署名アクションなど、さまざまな活動にも表れている。

 これらの活動は、従来の運動のような組織による動員というよりは、WEBやツイッターなどのソーシャルメディアを通じて行われ、普通の市民や家族が多数参加していることに特徴がある。

 さらに今回の国民や市民の動きは、若い世代にも広がっている(注3)。例えばその一つの象徴が、原発問題を考え、高校生の生の声が聞けるビデオメッセージサイト「THINK NUKE(http://thinknuke.tehu.me/)」である。

 その主宰者の高校生は、サイトを立ち上げた動機について、次のように指摘している。

「大飯原発の再稼働を始めとして、原発をどうするのかというのが今日本で大きな話題になっています。原発推進、現状維持、廃止、どれに傾いてもこの国の将来に大きく影響するのは間違いありません。そして、将来、原発の事故が起こったとしても、核廃棄物を処理しなければいけなくなったとしても、あるいは、日本経済が停滞したとしても、極度の節電を迫られたとしても、その影響を受けるのは高校生の世代です。だからこそそんな高校生の声を聞いてほしいと思い、サイトを開きました」

 ビデオでの高校生の意見は様々だが、真剣にこの問題を考えていることがわかる。原発や原子力の問題を通じて、若い世代も社会や政治・政策に関心をより強く持ちはじめているということができるだろう。

 以上のように考えていくと、次のようにいえるのではないか。

 震災や原発事故後しばらくすると、国民や市民の意識や行動は、元に戻ってしまったかのように見えた。しかし、その後の政府・行政、政治の対応、社会自体の問題と課題の中で、国民や市民は、自分たちも意見をいわなければならない、自分たちで行動しなければならない、政治や行政だけに任せておくだけではだめなのではないか、と考えているようだ。

 だがこれらの国民や市民の意見や動きの多くは、あくまで政府・行政や政治の進める方向に対する反発・対応のレベルであり、 ・・・ログインして読む
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筆者

鈴木崇弘

鈴木崇弘(すずき・たかひろ) 城西国際大学客員教授(政治学)

城西国際大学大学院国際アドミニストレーション研究科客員教授。1954年生まれ。東京大学法学部卒。マラヤ大学、イースト・ウエスト・センターやハワイ大学大学院等に留学。東京財団の設立に関わり、同財団研究事業部長、大阪大学特任教授、自民党の政策研究機関「シンクタンク2005・日本」の設立に関わり、同機関理事・事務局長などを経て現職。中央大学大学院公共政策研究科客員教授。著書に『日本に「民主主義」を起業する――自伝的シンクタンク論』『シチズン・リテラシー』『僕らの社会のつくり方――10代から見る憲法』など。

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