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「いつもの光景」を超えて――竹島(独島)を相互理解の契機に

金恵京 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

 2012年8月10日、李明博大統領は竹島(独島)を訪問した。当該地には1953年より韓国が軍を駐留していたものの、歴任者も含む大統領が上陸したのは初めてのことであった。その報に接し、日韓両国では、賞賛と反発、そして冷徹な分析が溢れた。ある意味、日韓両国における「いつもの光景」が繰り返されたといえる。

 ただ、私の中には李大統領の行動に対して強い違和感があった。というのも、李大統領の息子と私の弟は小学校以来の幼馴染みであり、現在まで家族ぐるみでの付き合いが続き、普段の“李君のお父さん”の思いが良く分かっているためである。

 もう20年ほど前になるが、私が高校時代、日本の大学への留学を考えていた際、自分が大阪で生まれたことや国際的なビジネスでの経験(1992年に政治家となるまで、李明博氏は実業家として知られていた)を踏まえ、「学ぶことも多いから、絶対、日本には行った方が良いよ」とアドバイスをくれたこともあった。

 李氏には、韓国で以前より一部勢力から「親日派」と非難される面があるが、私は彼が大統領に就任するとの知らせを受け、これまでの大統領にない国際的な視野で日韓関係をはじめとする外交をコントロールできる人が表舞台に立つのだという期待があった。

拡大竹島に上陸し、警備隊員と話す韓国の李明博大統領=8月10日、東亜日報提供

 そうした私の思いと、今回の竹島(独島)訪問という、ある意味で前時代的な行動は大きなギャップがあった。

 しかし、それは理解不能というよりも、彼までもが目の前にぶら下がっていた「禁断の果実」に手を出してしまったのか、という悔しい気持ちを私に抱かせるものであった。

 確かに、今回のような行動は自国民には大きなアピールとなり、一部から喝采を浴びるかもしれないが、それは一時しのぎに過ぎず、日韓関係には負の要素しかもたらさない。そして、しばらくすると元の場所にただ戻るだけの不毛な行動なのである。こうした行動を両国が交互にガス抜き代わりに行ってきたのが、日韓外交の定型でもあった。

 その騒動の渦中にあると、当事者や周囲の過激な言動や行動に目を奪われ、相互の緊張関係が永続するように思われる部分はあるかもしれない。

 現に、私も2005年に島根県が「竹島の日」を制定した際に起きた日韓両国の各種交流事業の中止、デモ、メディアでの過激な言動、国旗を燃やす等の動きを見て、日韓関係の将来に対して絶望的な気分になったことを思い出す。しかし、これまでの長い交流の中で形成されてきたパイプや新たな手法の登場により、両国はしばらくすると元の姿に戻っていくのである。

 恐らく、李大統領もそうした緊張をもたらす行動が無益であることは理解していたのだと思う。ただ、その方向へ舵を切らざるを得なかった状況が彼にはあった。要因として挙げられるのが、日本の報道でも伝えられたように、親族や側近の逮捕、あるいは経済政策により格差が増大したことに起因する支持率の低下である。

 そのため、李大統領の目線は韓国のみに向いており、これまで竹島(独島)訪問を断念してきた要因である日本への外交上の配慮は今回意図的に排除された。

 一方、日本は李大統領の行為を日本への示威行為として捉え、それをトップニュースとして扱い、TVも新聞も関連報道に連日大きなスペースを割いていた。

 ただ、その反応は韓国からすれば、意外なほど大きなものであった。韓国国内の訪問当日の60分間のニュース番組でも、確かにそれはトップニュースになっていたものの、大統領の地方訪問の一つとして捉えられ、10分程度で李大統領に関する報道が終わり、後日に至ってはほとんど注目されていないことからすれば、その差異が分かるのではないだろうか。

 先に挙げた2005年の場合を想起すれば、日本の行動に韓国のメディアが激昂した反応と重なって見える。確かに、報道を行う際、自らが欲する情報を編集して意図する形にするのは一般的なことである。

 しかし、日本の報道のみに触れるのならば、韓国社会の本来の姿や、今回の行動の一つ奥にある背景を捉えようとした時、日本の人々の目を曇らせる危険もあるように思われる(これは韓国にも同様であるが)。そこで、日韓両国に軸足を置く私の立場から、日本であまり語られなかった韓国人の“常識”に光を当ててみる。

 まず、第一に挙げられるのは、オリンピックでの日韓戦の日に合わせて訪問が行われたことである。日本における報道では男子サッカーと女子バレーボールの3位決定戦が重ねて述べられることが多かったものの、韓国にとってそれは全く色合いが異なる。

 韓国においては2002年の日韓ワールドカップ以降、サッカーの代表チームは国そのものの存在となっている。かつては、男性がサッカーに熱くなるのを女性が冷ややかに見るというのが、韓国の典型的な姿であった。しかし、1997年の通貨危機からIMFの管理を経て、2001年に負債を全額返還した韓国にとって、かつての宗主国でもある日本と国際大会を共催しつつも、アジア史上最高の成績を収めたことで、男子サッカー代表チームは老若男女を問わず、世界に伍する国の象徴と捉えられるようになった。

 普段の国内プロリーグの試合に対しては、何も関心がない私の友人(女性)も、サッカーの日韓戦になると海外にいる私に韓国から続々とメールで「何時に放送があるから、応援するんだよ!!」と時差を計算してまで呼びかけるようになっている。高揚感と共に国民が一体となれるもの、それが韓国の男子サッカー代表チームなのである。

 こうした変化は、何も韓国に独特のものではない。日本でも、それまで注目を浴びなかった「なでしこJAPAN」が東日本大震災後の日本にワールドカップ優勝という希望の光をもたらしたことで、一躍国民的スターになり、今回のオリンピックの決勝戦は明け方の3時45分開始にもかかわらず、20%以上の視聴率を記録している。

 スポーツが持つ力は時に予想以上の効果をもたらすものであるが、その大きさゆえに国際的に政治宣伝と距離を置いてきた面がある。そうした影響力やチームの人気を李大統領は十分理解した上で、竹島(独島)訪問を印象づけるために利用した。国内的に冷静な対応を求めるならば、他の日を選択することもできたことを考えれば、それは明らかであろう。

 そして、政治とメディアの相乗作用なのかもしれないが、韓国の報道でも、サッカーの日韓戦に関しては、「血戦」や「戦争」などというおどろおどろしい言葉を女性アナウンサーまでもが平然と使うようになっており、ナショナリズム高揚の装置となっている部分がある。日本の報道に慣れた私からすると、そうした姿勢に対しては強い違和感を感じてしまうのであるが。

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筆者

金恵京

金恵京(きむ・へぎょん) 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

国際法学者。日本大学危機管理学部准教授、早稲田大学博士(国際関係学専攻)。1975年ソウル生まれ。幼い頃より日本への関心が強く、1996年に明治大学法学部入学。2000年に卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程に入学、博士後期課程で国際法によるテロリズム規制を研究。2005年、アメリカに渡り、ローファームMorrison & Foester勤務を経て、ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学東アジア学部客員教授を歴任。2012年より日本に戻り、明治大学法学部助教、日本大学総合科学研究所准教授を経て現在に至る。著書に、『テロ防止策の研究――国際法の現状及び将来への提言』(早稲田大学出版部、2011)、『涙と花札――韓流と日流のあいだで』(新潮社、2012)、『風に舞う一葉――身近な日韓友好のすすめ』(第三文明社、2015)、『柔らかな海峡――日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル、2015)、最新刊に『無差別テロ――国際社会はどう対処すればよいか』(岩波書店、2016)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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