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パブリック情報について考えよう

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 本記事は、先の拙記事「パブリック・マネーについて考えよう(以下、「PM記事」と略す)」や「パブリック人材について考えよう(以下、「PP」記事と略す)」の情報版だ。

 政策や政治、社会、つまりパブリックを考える場合、資金、人材そして情報の三つが重要だ。そこで、本記事ではパブリック情報(PI)を考えてみたい。

 PIでまず思いつくのは、行政情報だ。日本の行政機関は、情報を積極的に公開することを好まない傾向にある(注1)。「行政機関の保有する情報の公開に関する法律(行政機関情報公開法)」、いわゆる「情報公開法」は、1999年5月に公布され、2001年4月に施行されたが、その後も、基本的に情報公開に積極的とはいえない。また、たとえ情報公開しても、アクセス状況が簡便とはいえないことが多い(注2)。

 だが、行政活動は国民・納税者の税金により行われているのであり、その成果から生まれてくる行政情報は、単に行政のものではなく、最終的には国民、納税者のものであろう。

 その意味で行政情報は、基本はまずすべて公開するというのが基本原則になるべきだろう。もちろん政策執行や行政活動の適切な運営、国民・住民の不安の回避、また個人情報の保護のためには、ある限られた期間は公開されない情報が存在することもありうるだろう。

 行政が、主権を持つ国民・有権者に開かれ、国民が最終的に適切な判断をしなければ、健全な民主主義の発展はありえない。つまり、的確かつ適切に、そして十分に情報を与えられた国民・市民(well-informed citizens)の存在は、民主主義の土台なのだ。

 その趣旨からすると、民主主義社会では、社会の構成員(つまり有権者である国民・市民や住民)が歴史的に、政策や政治的判断を検証し、その結果が、次の政策や政治判断に活かされるようにすべきだろう。そのためには、中長期的にはすべての情報が公開され、最終的に主権者である国民・市民や住民がその成否を判断できるようにすべきだ。

 アメリカでは情報公開の長い歴史がある。1966年に連邦政府情報公開法が制定され、その後、ニクソン大統領によるウォーターゲイト事件が起きたために、同法が改正され、政府情報の公開性が高められてきた。

 また、国家機密情報に関しては、アメリカ大統領令13292により規定されている。それによれば、情報が発生して「第一次機密指定」を行う場合、特定の出来事やその解除の期限を定めることが望ましいとされており、その設定ができない場合は、10年から25年で指定解除になるという(注3)。

 このことからみても、アメリカの場合、国内や諸外国との関係からある情報を守ることを前提にしつつも、公開の方向性が高いことがわかる。

 日本でも、公文書館が設置されたり(注4)、2011年4月には「公文書等の管理に関する法律」が施行され、行政文書に関して、統一的な管理ルールの策定、実施、府省内管理状況の報告義務、実地調査・勧告制度の内閣府における新設、外部有識者の知見活用などが規定され、情報公開の前進を見ているが、民主主義的な観点からは今後一層の改善が必要であろう。

 この延長線上で思いだすのは、国会事故調の問題だ。

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