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安倍晋三は、再びの「失速」を避けられるか

櫻田淳 東洋学園大学教授

 自民党総裁選挙では、安倍晋三(元内閣総理大臣)が総裁に選出された。此度の総裁選挙では、「誰が総裁に選ばれるか」は、然程、重要ではなかった。誰が総裁になるにせよ、野党の党首である以上、衆議院解散の権限はない。民主党主導内閣の過去三年の執政が当初の国民の期待を大きく裏切るものであった故に、向こう一年以内には確実に実施される衆議院選挙の結果として自民党の「政権奪回」が成るであろうと予測する声は、高まっている。

 ただし、「政権奪回」が成ったとしても、宰相としての安倍に手掛けられるのは、この三年の「遅れ」を取り戻すということでしかない。「統治」は、宰相ひとりで手掛ける仕事ではない。「○○氏なら、うまくいく」などという手品を期待するような議論くらい、愚劣なものはない。

 振り返れば、二〇〇六年九月、安倍が前任の小泉純一郎(元内閣総理大臣)からの実質上、禅譲の体裁で総裁の座を引き継ぎ、第一次内閣を発足させた折、彼が手にしていた政治環境は、この上なく恵まれたものであった。衆議院三分の二・参議院過半数に支えられた議会内基盤は盤石であった。安倍に対する人気は、党と世論との関係において彼の優越した立場を担保していた。

 経済情勢もまた、「いざなみ景気」とも称される二〇〇二年二月以降の景気拡大局面の最中にあった。対米関係は、「ブッシュ・コイズミ同盟」と呼ばれた「未曽有の蜜月」の歳月の余熱が続いていた。

 唯一、懸念の材料と考えられたのは、小泉内閣期に小泉が靖国神社参拝を繰り返していたことに因る中韓両国との関係膠着であったけれども、その対中韓関係の膠着もまた、安倍が総理就任直後に最初の外遊の地として中国と韓国を選んだことによって、打開された。

 安倍は、第一次内閣期の執政に際して、こうした「この上ない順境」に拠った政治資産を活かすことができなかった。そのことの最たる要因は、安倍が「美しい国」や「戦後レジームの克服」といった自らの政治信条を前面に打ち出し過ぎたことにあるのであろう。

 しかも、安倍が自らとの政治信条の近さを基準にして起用したであろう閣僚からは、不祥事が続出し、それが安倍の政権運営の足を引っ張った。安倍が健康悪化を理由に退陣し、それが「政権投げ出し」という無責任の印象を与えたのは、一つの結果に過ぎない。安倍は、「政権運営の順境」の局面においてこそ必要な「慎重さ」を発揮できなかったのである。

 目下、自民党総裁職に復帰した安倍が向き合うのは、五年前とは比べるべくもない「逆境」である。対米関係の「軋み」は、依然として修正されていない。中韓両国との関係が冷却した度合いは、小泉内閣期よりも甚だしいものであろう。経済情勢についても、日経平均株価は、安倍第一次内閣期に付けた一万八〇〇〇円の半分の水準で停滞している。

 そうした中では、安倍には、第一次内閣期のように、「美しい国」や「戦後レジームの克服」といった言辞を弄ぶことは、何ら期待されていまい。自民党総裁職に再び就いた安倍が当面、野党党首として手掛けるべきことは、次の二つであろう。

 第一に、野田佳彦(内閣総理大臣)の政権運営に際して、どこまで付き合っていくかを明示することである。既に参議院で野田に対する問責決議が可決されている状況の下では、野田の「新規の政策課題」に付き合う道理はない。公債特例法案や選挙制度改正で限定された妥協を行うのが、関の山といったところであろう。

 第二に、安倍が第二次内閣を発足させた折に、何を優先して手掛けるかは、明示される必要がある。それは、そのまま「政権公約」としての役割をも果たす。実際に手掛けられる政策上の骨子は、多分、次の三つしかない。

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