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ベビーカーの議論と薄れゆく日本の扶助意識――韓国とアメリカの事例から

金恵京

金恵京 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

 ベビーカーで電車に乗る際、どうすべきか。

 最近、鉄道会社や東京都の啓発ポスターをきっかけに議論が盛んになっている。ただ、その議論の立て方自体に、私は驚きやある種の怒りすら感じた。そもそも私は独身で、子どももいない外国人女性であり、問題の当事者とは言えないが、日本を知る一女性として言葉を発せずにはいられない。

 元々、電車内でのベビーカーの扱いは東京のような大都市で暮らす子どもを産める年齢の女性にとって常に頭の中にあった問題である。子どもの予防接種をはじめとする病院関連の用事、あるいは手続き上の用事で外出する際、車を持っていなければ公共の交通機関を利用せざるを得ない。

 そして、そうした外出の際にはオムツ、粉ミルク、哺乳瓶、水筒を入れるバッグも持たなければならず、手がふさがる。また、以前に比べ母親の年齢も上昇しているので、その分、育児の体にもたらす負担は強くなっていることから、ベビーカーは非常に重宝する。

 私の周囲の友人に話を聞くと、電車が混んでいれば、子どもにとっても危ないし、周囲のスペースも気になるので、必ずベビーカーは畳むという。ただ、子どもを抱っこあるいはオンブし、細々とした荷物を抱え、畳んだベビーカーを持ち、混んだ電車で立っていることは女性にとって簡単ではない。そして、用事をこなし、同じ道筋で帰ってくれば、その疲れは相当なものとなる。

 しかし、子どもの世話は帰宅後も続けなければならず、子育て中の女性に休む暇はない。ましてや、子どもが他にもいれば、その子のことも気にかけなければならない。

 こうした状況は女性同士の会話でよく出てくるし、最後には「周りも助けてくれないし、もう子どもを産むのはやめよう」との結論になることが多い。話題となったベビーカー使用者への配慮を求めるポスターは、そうした子育てに伴う苦労を軽減し、少子化傾向に歯止めをかける一環として張り出されたという。それに対して一部の使用者のマナーの悪さ(ベビーカーが電車の乗降の際や手すり周辺で邪魔になっていること等)を指摘する声が上がり、賛否両論が噴出したというのが事態の顛末である。

 ただ、私はそうした批判を行う人の発想に違和感を感じざるを得ない。荷物を持って幼い子供を連れた女性、高齢者、障がい者などの電車の座席を必要としている人には当たり前のように座席を譲る風潮があれば、混んだ電車の中でことさらベビーカーを広げて使用する必要もないし、座席に座るので子どもや荷物も邪魔にならない。あるいは、それが出来ない状況であれば、手すりの側の安全な所に親子がいられるようにすれば問題はない。

 確かに、問題のある行動をとってしまう人もいる。しかし、それによって本来補助されるべき多数の人が困難に直面するのをよしとするのは、本末転倒である。これは芸能人の親などの生活保護費の不正受給報道に伴い、本来必要とされるべき人に支援が行き届かなくなる状況によく似ている。

 実際に他人のために自分の時間や生活を犠牲にするのは、負担を感じるものではあるし、避けられるのならば避けておきたいというのが大方の心理ではあろう。そのため、そうした不満や不公平感を解消する手段として、人目をひく逸脱行動に注目し、負担自体をなくそうとするのは自然な行動といえる。ただ、それは問題から目を逸らしているに過ぎない。

 私がこうした考えを持つに至ったのは、自らの経験が影響している。まず挙げられるのが、出身地の韓国で幼い頃から見ていた光景である。韓国では日本同様、電車やバスといった公共交通機関を使用することが多い。その中で、子連れの母親や高齢者が立ちっぱなしであることは、まずない。彼らの存在に気付いた者は、我先にと席を譲るためである。また、席を譲れなくとも、重たい荷物を持っている人がいたら、座っている人が立っている人の荷物を膝の上に置いてくれるのは日本にはない習慣である。

 困っている人を助けなければいけないという意識は韓国社会の中では当然のものとなっているため、それらは目立つ行動とはならない。もちろん、横柄な態度をとる人が韓国でもいないわけではないが、それは習慣を止める理由とはなり得ない。なぜなら、溢れんばかりの「情」が韓国の公共空間を支えているからである。

 また、教員として6年ほどを過ごしたアメリカでは、

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筆者

金恵京

金恵京(きむ・へぎょん) 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

国際法学者。日本大学危機管理学部准教授、早稲田大学博士(国際関係学専攻)。1975年ソウル生まれ。幼い頃より日本への関心が強く、1996年に明治大学法学部入学。2000年に卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程に入学、博士後期課程で国際法によるテロリズム規制を研究。2005年、アメリカに渡り、ローファームMorrison & Foester勤務を経て、ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学東アジア学部客員教授を歴任。2012年より日本に戻り、明治大学法学部助教、日本大学総合科学研究所准教授を経て現在に至る。著書に、『テロ防止策の研究――国際法の現状及び将来への提言』(早稲田大学出版部、2011)、『涙と花札――韓流と日流のあいだで』(新潮社、2012)、『風に舞う一葉――身近な日韓友好のすすめ』(第三文明社、2015)、『柔らかな海峡――日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル、2015)、最新刊に『無差別テロ――国際社会はどう対処すればよいか』(岩波書店、2016)。

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