メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

村上春樹の声望と文学者の「政治」言説

櫻田淳

櫻田淳 東洋学園大学教授

 村上春樹(作家)のノーベル文学賞受賞は、お預けになった。村上が「朝日新聞」(九月二十八日付)に寄せた「魂の行き来する道筋」なる随筆は、村上の作家としての声望を反映し、内外に反響を呼ぶものになったようである。

 確かに、村上の随筆は、現下の政治上の文脈の一切を無視するならば、それ自体としては何の異論を差し挟む余地もない。「平和は大事だ」というぐらいの正しい議論が、そこにある。

 ところで、現在、村上の言葉にある「魂の行き来する道筋」を遮断しているのは、どこの誰なのか。日本政府が、そうした政策判断を下したという話は、寡聞にして聞かない。日本の国民レベルでも、日本の一般国民が中国に対して「魂の行き来」を拒むという事態は、相当に甚大な実害を中国から受けるということがない限りは、蓋然性の低いものであろう。

 事実、中国全土で「反日」騒擾が最高潮に達した九月中旬、NHKは、三国志に題材を採った映画『レッド・クリフ』や清朝末に権勢を揮った西太后を紹介する歴史番組を放映していた。それが日本の「空気」である。

 片や、中国政府が日本に対する意趣返しの意味で対日交流行事を続々と中止させている話は、頻繁に耳に入ってくる。村上が憂慮する現下の事態は、結局のところは、中国政府の「狭量さ」の結果でしかないであろう。

 そうであるならば、何故、村上は、中国政府の姿勢に異を唱えないのか。村上には、是非、北京に乗り込んで、現下の「愛国無罪」の風潮を鎮めるべく、呼びかけてもらいたいものである。

 村上は、今年はノーベル文学賞受賞を逃したとはいえ、来年以降も有力候補として数えられるのであろうから、そのくらいの「影響力」を発揮するなどは造作もないことだろう。「ナショナリズム」が「安酒」であるという村上の指摘に至っては、特に第二次世界大戦後、そのナショナリズムの統御が課題として語られ続けてきた経緯を踏まえれば、陳腐の極みであろう。

 加えて、村上は、随筆中に書いている。

 「中国の書店で日本人著者の書物が引き揚げられたことについて、僕は意見を述べる立場にはない。それはあくまで中国国内の問題である。一人の著者としてきわめて残念には思うが、それについてはどうすることもできない。僕に今ここではっきり言えるのは、そのような中国側の行動に対して、どうか報復的行動をとらないでいただきたいということだけだ」

 村上は、何故、「中国の書店で日本人著者の書物が引き揚げられたことについて、僕は意見を述べる立場にはない」と書いたのか。それは、充分に抗議に値することではないか。

・・・ログインして読む
(残り:約1040文字/本文:約2107文字)