遠藤乾
2012年10月16日
他方で、ノーベル平和賞は議論を呼ぶ。それは賞がもつ性格と言ってもよい。平和は多義的で、立場によって意味が変わるなか、世界的な権威を帯びるこの賞は常に衆目を集め続けるのだから当然である。
最も客観的な科学分野の賞ですら、受賞すべき人が逃し、真偽や含意がまだ分かりきらない業績が対象となりうる。ロシアのバブル崩壊を予見できなかった投資家におめでたくも授与された経済学賞については何も言うまい。
平和賞は、文学賞と並んで、客観性を確保しにくく、後者よりもあからさまに政治的な分、評価が割れやすい。反アパルトヘイトの闘士として世界中から尊敬を集めたネルソン・マンデラ(元南アフリカ共和国大統領)が平和賞を受賞したときですら、称賛は普遍的ではなかった。
そもそも、ノーベル平和賞じたい、ノーベル自身の誤算から生じたものと言ってもよい。ダイナマイトを発明したノーベルは、19世紀末、オーストリアの作家で平和主義者のズットナー伯夫人にこう言明した。
「おそらく私の工場はあなたの会[オーストリア平和友の会]よりも早く戦争に終わりを告げさせるでしょう。敵対する二つの軍隊が一瞬にして相手を全滅させることができるような日がやってきたら、ものの分かった国民だったら恐怖でしりごみし、軍隊を解散させるでしょう」
しかし、ダイナマイトどころか核兵器の時代になっても、軍隊は解散しなかった。ノーベルは、見込み違いをしていたのである。平和賞は、かの死の商人が死後の自己イメージを制御する道具として出発し、サハロフ、マザー・テレサ、国境なき医師団らを選ぶことで長い年月をかけ権威を育んできたが、逆にキッシンジャー、ラビン、アラファトなど、幾度も賛否の分かれる受賞者により疑義の対象にもなってきた。
したがって、評価が割れ賛否が渦巻くこと自体は、新しいことでもなく、おそらく主要な問題ですらない。問われるべきは、EUの平和賞受賞の妥当性と含意である。
ノルウェー議会が選ぶ5人の選考委員会は、1952年の石炭鉄鋼共同体(ECSC)に始まるEUの60年の歴史を振り返り「ヨーロッパにおける平和と和解、デモクラシーと人権を前進させた」と褒めたたえた。ノーベル委員会事務局長のゲイル・ルンデスタッドは、独仏和解、イベリア半島や東欧の新興デモクラシーの安定化、バルカンや他地域における人権状況の改善への貢献を挙げ、その理由を具体化してみせた。
しかし、独仏を中心としたヨーロッパの不戦共同体は、本当にEUが創ったものなのだろうか。
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